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“東証を変えた男”が語る、金融業界の伝説「arrowhead」誕生の舞台裏――“決して落としてはならないシステム”ができるまで日本郵便専務が明かす(3/4 ページ)

2005年11月から2006年にかけて、システム障害を起こし、取引が全面停止するという事態に陥った東京証券取引所。世間の大バッシングの中、そのシステム刷新をやってのけたのが、現在、日本郵便で専務を務める鈴木義伯氏だ。当時、どのような覚悟を持って、“落としてはならないシステム”を作り上げたのか。

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大バッシングの中、危機にひんした東証のCIOに就任。そこで見たのは……

鈴木: NTTではそんな仕事を手掛けていたところ、2005年から2006年にかけて、東京証券取引所が相次いで深刻なシステム障害を起こし、社会問題にまで発展するという事態が起こったのです。当時、私はNTTデータの子会社であるNTTデータフォースの社長を務めていましたが、急きょ、東京証券取引所のCIOに就任し、システムの立て直しを指揮することになりました。

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日本郵便のCIO、鈴木義伯氏

中野: 当時は断れない状況だったのですか?

鈴木: 断れないですね。当時、西室泰三さんが東証の社長に就任しており、彼がNTTに「誰か出してほしい」とリクエストを出して、結果的に私が行くことになりました。当時の東証が置かれていた状況は極めて深刻で、金融庁もIT業界全体も「早くこの状況を解決しないと、金融業界の信用を揺るがす大変なことになる」というのが共通認識でした。

 金融インフラである東証の問題でもあり、ひいては財界全体の総意でもあったわけですよ。そういう構造だったので、断るという道は残されていませんでしたね。「できるのか、できないのか」という打診ではなく、「どうやったらできるんだ」という形での要請でしたから。

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危機にひんした東証にCIOとして就任。そこで見たのは……(提供:ゲッティイメージズ)

中野: 実際に東証へ行かれたときの第一印象はいかがでしたか。

鈴木: あれだけ力のあるメンバーがそろっている東証でさえ、こういう状況になってしまうんだなと驚きました。簡単に言えば、「外部への依存度が高いシステム作りをしていると、自主的にいろいろなことの判断ができなくなってしまう」ということがだんだん分かってきたんです。

 また、当時は、「ITが企業の中核である」といった状況ではなかったのも事実です。

 そんな状況下でCIOに着任したわけですが、当時は世間のバッシングがそれはもうすさまじくて、社内でもさすがに危機感が高まっていました。素早く結論を出して実行できたのは、そのためですね。危機感が高まれば高まるほど「どうにかしなければならない」と社内がまとまりやすくなりますから。あとはアイデアが出せるかどうか、だけです。

中野: 「ITが中核でない」というのは、古くからある業界や大きな会社ではよく聞く話ですね。

鈴木: 企業の中でITが、まだまだ特殊な業務だと思われているんですね。でも、「ITが特殊だ」なんて言ってる間は、まぁ、ダメですね。事業全体の中で、ITが財務や中核事業などと肩を並べるぐらいの位置付けにならなければダメですよ。

中野: 東証も銀行もほぼ装置産業で、中身はほとんどITですよね。例えばネット銀行やネット証券は店舗を持たず、社員も最小限ですが、システム周りがきちんとしていればそれだけでもビジネスが回ります。

 それぐらい、金融においてはITが重要なわけですが、そうであるにもかかわらずITが傍流というのは、本当に根深い問題だと思います。メーカーや物流、小売りなど、ビジネスにおいてITが占める割合が少ない業界ではなおさらですね。

鈴木: そうですね。そういった背景もあって、私が東証に行くときに条件として要求したのは、「CIOとして経営メンバーの一員にしてほしい」ということでした。経営層として入らないと、言いたいことも言えないし、社内で自分の考えもなかなか通りませんから。あともう1つ、NTTデータから、一緒に東証に来て変化の仕組みを考えられるスタッフを連れていくことを条件に挙げました。この人たちには、2年後にちゃんと元の職場に戻ってもらいましたが。

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