今の日本政治に多大な示唆――「大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清」:経営のヒントになる1冊
積極的な財政政策により「日本のケインズ」と呼ばれる一方で、その容姿から「ダルマ宰相」と親しまれた高橋是清。戦時中、日本を守るために命懸けで軍部と闘った勇姿に学ぶべき点は多い。
米国のサブプライム(信用力の低い個人向け住宅融資)問題から、いま世界は深刻な金融危機に見舞われている。ことに日本は、サブプライムの被害が少ないにもかかわらず、主要先進国の中で最も深刻な不況に陥っている。だが、戦前の世界大恐慌の時には、高橋是清の経済政策の成功で、恐慌の真っただ中の1933年の日本は、繁栄する孤島だったのだ。
高橋是清は日銀総裁から大蔵大臣に転じ、大正から昭和初期にかけて6回も大蔵大臣として活躍した近代日本を代表する金融財政家。孔孟の母国である中国を深く尊敬していた国際人でもあった。本書はその是清の思想と行動を主軸に、高橋が生きた時代を描き出している。
それにしても、高橋は一体いかにして大恐慌を乗り越えようとしたのか。軍部はなぜ高橋を暗殺し、無謀な戦争にのめり込んでいったのか?
高橋はよく「日本のケインズ」と呼ばれる。確かに高橋は濱口雄幸首相、井上準之助蔵相の行った金解禁に反対し、金輸出を再禁止するとともに、日銀の国債引き受けによって農村救済などに一時的に財政支出を拡大した。しかし、高橋は、元来、当時のグローバルスタンダードだった金本位制に反対ではなかったし、軍事予算の膨張を押さえ込むためもあって財政健全化を叫び続けていた。殖産興業のためには一貫して低金利政策を主張していたのである。高橋が井上蔵相の金解禁に反対したのは、それが旧平価での解禁であり、正貨流出を防ぐための高金利政策が産業界に大きな打撃を与えていたためである。
明治から昭和戦前期の日本は、列強の軍事的圧力と慢性的財政難から何とか抜け出そうとして、もがき苦しんでいた。先進国はその発展の初期においては、もっぱら関税収入によって工業化を図った。しかし、日本は不平等条約によって極めてわずかな関税収入しか得られず、しかも、日本の10倍以上の軍隊を持つ軍事大国の清国、続いて日清戦争で清国から巨大な利権を得たロシアと戦わざるを得なくなる。それらの軍事費やインフラ投資、産業振興のための負担はもっぱら農民の肩にかかり、日本の農村は極貧の世界に変わっていった。そうした農村の貧困をバックに若手将校たちは昭和維新を叫び、日本を戦争への道に駆り立てていく。皮肉にも、高橋経済政策により日本の経済力が高まると、国民は満州事変によって景気が回復したと勘違いして軍部を支持した。
いま、世界はまったく新しい時代を迎えようとしている。そのようなときには、明治以来の日本の歴史を振り返り、今後の日本の進むべき道をじっくりと考える必要がある。本書はその有力な一冊といえるが、本書を読むと、いま日本に必要なのは高橋のように命懸けで日本を救おうとする政治家なのではないかと思えてくる。
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