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【第16回】不遇の時代、あなたは仕事に打ち込めるのか?ミドルが経営を変える(2/2 ページ)

未曾有の不況によって、大規模なリストラ計画、人員の配置転換を発表する企業は少なくない。こうした状況において、何をモチベーションに働くことができるのだろうか。

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自分を見守り続けた上司の存在

 日本経済新聞に「私(わたし)の課長時代」という連載記事がある。そこでは、日本を代表する企業の経営者が、タイトルの通り、課長のころを中心に自らのキャリアを振り返っている。これまでに登場しているのはソニーの中鉢良治社長から双日の加瀬豊社長まで、計18名の経営者である(2009年3月16日現在)。それに目を通すと、キャリアの途中で不遇の日々を過ごした経験を語っている経営者は多い。彼らは共通して、不遇の日々といえどもしっかりと仕事をこなし、それを通じて多くのことを学ぶことができたと振り返っている。いつまでも腐ることなく、与えられた仕事をやり遂げることに活路を見いだしていたのである。

 仕事に打ち込み続けることができた理由として、自分のことを見守ってくれていた上司の存在を指摘する経営者も少なくはなかった。例えば、日産自動車COO(最高執行責任者)の志賀俊之氏である*2。1987年、33歳で同社のアジア大洋州営業部の若手部員だった志賀氏は、いったん撤退していたインドネシアへの再進出計画をまとめ上げる仕事の責任者に抜擢される。寸暇を惜しむ努力で計画完成までこぎ着いたのは、1991年のことだった。しかし既にバブル経済は崩壊し、日産の経営状態にも陰りが見え始めていた。インドネシア進出など夢物語となり、完成した計画は経営会議で即座に却下されてしまう。

 それに納得がいかない志賀氏は、「同国は有望市場につき、事務所を設立して再起を記す」との檄文を書き上げ、それを海外担当役員に叩きつけた。事務所長の欄には、自らの名前を入れて。これが「思いがけずすぐに」当該の役員に認められてしまう。そのため1991年10月には営業部の課長兼ジャカルタ事務所長として、志賀氏は同地に赴任することとなった。認められたとはいえ、会社として再参入の予定はなく、作るモノ、売るモノがないまま、「内心では本社に残る同僚がうらやましかった」「わたしは不安そうな家族をつれてジャカルタに飛び立ちました。本当はわたしの方がずっと不安だったんですよ」と本人が語るように、途方に暮れた中での赴任であった。

 この不安は的中する。インドネシアで待っていたのは実質的には「失業」、浪人状態の日々だった。

 「ジャカルタに到着したわたしは、すぐに街中の小さなオフィスを借りて電話を引きました。だが、待てど暮らせど電話は鳴らない。当然ですよね。当時の日産はインドネシアで事業をしていないのですから。……(中略)……『わたしのサラリーマン人生は終わった』と頭を抱えていました。今でも思い出すと辛くなる。円形脱毛症になったぐらいですから」

会社のためだけに働くのではない

 本社からの電話もない状態だった。手軽にメールで本社の同僚にぐちをこぼせる時代でもない。失意の日々であった。しかし、ある意外な人物からの連絡で志賀氏は失意の日々を得意へと変えることとなる。

 「自暴自棄にならずに済んだのは、思いがけない人からの励ましがあったからです。わたしをインドネシアに送り込んだあの役員から、ある日、電話がかかってきた。『再起を期すんだろ。見ててやるから頑張れ』。うれしかった。決して忘れ去られたわけではない――。彼の言葉を支えに、気力を振り絞ってインドネシアでの事業展開やアジア戦略を考え続けました」

 1994年、インドネシア政府は外資規制を撤廃し、投資優遇税制などで外資誘致策に本腰を入れ始める。同年、日産も工場建設に乗り出すこととなる。同地で策練り上げていた志賀氏は合弁工場の起ち上げに奮闘するとともに、工場建設にともないインドネシアを訪問する日産の幹部に欧米偏重の日産の海外戦略に意見し、成長セクターであるアジアにもっと目を向けることを進言するに至る。

 そして赴任から6年、同社の本流である企画室主担として志賀氏は日本に帰国する。そこで志賀氏は、仏Renaultとの提携を推進する役目を帯びることとなる。

 不遇の日々をどう過ごすか、さらにはミドルとして、過ごしている部下をいかに見守っていくか。部下の育成法に関するほかのインタビュー記事で志賀氏は「『会社のため』ではなく『あの上司が見ていてくれるから頑張れる』ということは必ずある」とも述べている*3。トップ、そしてミドルが本当に頭を悩ますべきは、こうした点ではなかろうか。


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プロフィール

吉村典久(よしむら のりひさ)

和歌山大学経済学部教授

1968年奈良県生まれ。学習院大学経済学部卒。神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了。03年から04年Cass Business School, City University London客員研究員。博士(経営学)。現在、和歌山大学経済学部教授。専攻は経営戦略論、企業統治論。著作に『部長の経営学』(ちくま新書)、『日本の企業統治−神話と実態』(NTT出版)、『日本的経営の変革―持続する強みと問題点』(監訳、有斐閣)、「発言メカニズムをつうじた経営者への牽制」(同論文にて2000年、若手研究者向け経営倫理に関する懸賞論文・奨励賞受賞、日本経営倫理学会主催)など。


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