ソフトボール・斎藤監督との「声出し作戦」の思い出:小松裕の「スポーツドクター奮闘記」(2/2 ページ)
北京オリンピックで女子ソフトボールチームを世界一に導いた斎藤監督とは、選手時代からの古い付き合いです。試合中にベンチで2人並んで大声を張り上げたりと、思い出は尽きません。
毎日を大切に、頑張ってきたからこそ
そんな思い出話や、斎藤監督がソフトボールを始めたきっかけ、北京オリンピックのこと、ソフトボールのオリンピック復活への思いなど、話は尽きず、あっという間の1時間でした。「初めから夢があってそれを追い続けたわけではない。一日一日を大切にして、人との出会いを大切にして、頑張ってやってきたから世界一になれた」という言葉が印象的でした。
トークショーが終わった後、持ってきたオリンピックのメダルを皆に触らせてくれて、子どもたちの求めに応じてサインを書き続ける斎藤監督、その姿を見てまた感じました。あんなに有名になっても「もっとソフトボールを普及させたい、子供たちに夢を持ち続けさせたい」と一生懸命なのです。サイン会の予定でもなかったのに、その時間は軽く30分を超えていました。
斎藤監督が、懸命に子どもたちと接してくれるのは、ソフトボールの普及や、オリンピックでソフトボールを復活させたいという気持ちだけではありません。ソフトボールが大好きで、スポーツが大好きで、自分がそれで素晴らしい経験ができて、いろいろなことを勉強できて、その楽しさをもっと皆に味わってもらいたいと実感しているからです。
東京に戻って、2人で一杯やりました。酒豪の斎藤監督に付き合って、わたしはほとんど泥酔状態でしたが、彼女はまったく乱れることなく、店でもサインの求めに笑顔で応じていました。オリンピックから外されてしまったソフトボールですが、いつか復活して、また斎藤監督と祝杯を挙げたいなあと強く思ったのでした。
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著者プロフィール
小松裕(こまつ ゆたか)
国立スポーツ科学センター医学研究部 副主任研究員、医学博士
1961年長野県生まれ。1986年に信州大学医学部卒業後、日本赤十字社医療センター内科研修医、東京大学第二内科医員、東京大学消化器内科 文部科学教官助手などを経て、2005年から現職。専門分野はスポーツ医学、アンチ・ドーピング、スポーツ行政。
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