南米諸国の日系人との結び付きを:「世界一蹴の旅」からすべて教わった(2/2 ページ)
W杯を出場する32カ国を巡る「世界一蹴の旅」では、ワールドカップイヤーの今年に入ってから2カ月にわたり、南米の出場5カ国(チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル)を訪問してきた。
産業界でも南米諸国との結び付きを強めろ
ここで前回のコラムでお伝えしたコートジボアールの中国人の話を振り返ってみよう。コートジボアールのみならず、世界各地に華僑をはじめとした中国人ネットワークが広がっており、中国本土の中国人が世界のマーケットへ進出しやすい環境が整っている。一方、日本は幸か不幸か、今まで国内で裕福な生活水準を保っていたため、特に新興国やその次にカテゴリーされる諸国とのつながりは弱い。
そこでBRICsの一角であるブラジルについて考えてみる。ここには、多くの日系同胞がたくさんいる。今後、2014年のワールドカップ、2016年のオリンピックを控え、ブラジルが国際的に注目を集めるほか、世界的な食糧危機に直面し農業が注目を浴びている中で、ブラジルの存在感は大きく、今後の成長余地は大いに期待できる。経済産業省のレポートにもあるように、今後の日本経済の発展には、日本企業のさらなる海外進出、特に新興国への進出が必要不可欠であるため、ブラジルとの結び付きを強めていくことが望まれる。
僕らは、サッカー界においても、日本人がもっと海外進出を図り、現地の環境でたくましく育って日本へ戻ってくるという逆輸入こそが日本サッカーを強くすると論じている。トゥーリオ選手の例は、3世代かけて日本へ戻ってきた、究極の逆輸入といえるかもしれない。彼の例を出すまでもなく、サッカー界における日系人の貢献により、日本とブラジルの結びつきは非常に大きい。
産業界とて同じだろう。今後、ますます注目される南米諸国に日系人という存在がいることが、日本の成長に大きく影響を与えることは間違いない。
経営者向け情報を集めた「ITmedia エグゼクティブ」の記事一覧をチェック
著者プロフィール
アシシ(左)とヨモケン
アシシ:1977年生まれ、北海道出身。大学卒業後、外資系コンサルティングファームに入社。6年勤めた後、ドイツワールドカップ現地観戦を理由に退職。その後、中田英寿の影響を受け旅人デビュー。半年仕事、半年旅人のライフスタイルも2009年で4年目に突入。自遊人布教活動を推し進める血気盛んな31歳。twitterアカウントは「atsushi_libero」。
ヨモケン:1979年生まれ、神奈川県出身。1998年、大学入学直後に日本代表とともに初めてワールドカップ(フランス大会)を体験。2002年、日韓ワールドカップをEnjoyし尽くして、同年、外資系コンサルティングファームに入社。2006年のドイツワールドカップを現地観戦後、同社の中国オフィスへ転籍。人生のマイルストーンをワールドカップイヤーに重ねながら、現在はフリーランスのコンサルタント兼旅人を満喫中。twitterアカウントは「yomoken2002」。
「世界一蹴の旅」の概要や彼らの日々のブログはこちら。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- アフリカ人を惑わす中国製品
- 「世界一蹴の旅」からすべて教わった:台頭する中国のエリート世代、そのとき日本は
急激な経済成長を遂げた中国では、富裕層が増加し、彼らの子どもで英才教育を受けた80后、90后と呼ばれる若者がビジネス社会に進出してきている。それに対して、日本の若年世代は……? - 「世界一蹴の旅」からすべて教わった:北朝鮮に向かう列車の中で……
国境を越えるべきか否か――。さんざん悩みぬいた結果、われわれは中国遼寧省の丹東から北朝鮮の首都・平壌への列車に乗り込んだのだった。 - 「世界一蹴の旅」からすべて教わった:南アフリカで痛感した「自己責任」の重要性
ブラジル代表の優勝で幕を閉じたFIFAコンフェデ杯。開催地となった南アフリカでは、来年のW杯本番に向けてスタジアム建設などが急ピッチで進む一方で、治安の悪さを懸念する声も聞こえる。現地の今をレポートする。 - 世界で勝つ 強い日本企業のつくり方:「地方へ販路を拡大し国産ブランドからシェアを奪う」――ソニーチャイナ・永田社長
中国市場においてテレビの販売シェアで国産ブランドに遅れをとっている外資企業。ソニーは地方都市への販売ネットワークを拡張するとともに、独自の戦略で顧客増を狙う。 - 世界で勝つ 強い日本企業のつくり方:「ローカルに根ざさないと愛されない」――ファミリーマート・井上常務
20年以上も前に海外進出を果たしたファミリーマートは着実に出店数を積み上げ、ついには昨年、日本発祥のコンビニとして初めて海外店舗数が国内店舗数を上回った。しかし一朝一夕に成し遂げられるものでは決してなかった。