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【最終回】ソニーのグローバリゼーションの行き着くところグローバルへの道 SONY成長の軌跡(2/2 ページ)

「新しい時代は、そのときの人が考えて、その時代に合ったことをしないといけない。」井深さんの言葉がいまさらながら心に響く。

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アップルになれなかったソニー

 ソニーがなぜ、アップルのようになれなかったか。それは、過去の大きな成功体験が重い抵抗勢力になっていたからです。出井さんの構想は、長期の研究開発や大型の工場を欲しがる社内保守派の抵抗、で実行できませんでした。

 これは、大艦巨砲主義で、米国の航空戦力に大敗した太平洋戦争と同じ結果です。出井さんは、この恐竜を鳥に変えるのはタイガーウッズをイチローなみの野球選手に変えるくらい難しいと述懐していました。

 さて、これからのソニーはどうなるでしょうか。それは6千万年前に、これからのティラノザウルスはどうなるでしょうか、と聞くのと同じです。形を変えて、ひょっとしたら名前も変えて生き残るでしょう、という答えになります。

 新しい時代に生き残るのは、新しい時代の生き物です。ソニーが生み出したすばらしい若手経営者の一人、辻野晃一郎さんは言っています。今のソニーを生き残らせることではなく、生まれたばかりのソニーみたいな会社をたくさん生み出していくことが大切なのだと。

 それは、創業者の井深さんも、まったく同じ意見でしょう。「わたしの設立趣意書を大切にしているようじゃ、ソニーの将来もだめだね。新しい時代は、そのときの人が考えて、その時代に合ったことをしないといけない。それが本当のパラダイムシフトですよ」これは井深さんがソニーマネージメントミーティングで管理職のわれわれに投げかけた言葉です。

 ソニーのグローバリゼーションの軌跡物語はこれで終わりです。盛田さんが、言った通り、過去にはなんの価値もない。現在を将来のために使う。これからは、すべて世界が相手です。今あなたはあなた自身の、そしてあなたの会社のグローバリゼーションのために、どんな計画を持ちどんな努力をしていますか。いつか、あなたのグローバリゼーションの軌跡を、お話いただけませんか。

著者プロフィール

郡山史郎

株式会社CEAFOM代表取締役社長

1935年鹿児島県生まれ。一橋大学経済学部卒。1959年ソニー入社

スイス、米国に市場開拓マネジャーとして通算12年滞在。米国大企業に転じて、日本代表、北アジア担当、複数の関連会社の社長を歴任。1981年にソニーに復帰し、取締役情報機器事業本部長、常務取締役経営戦略本部長、資材本部長、一般地域統括本部長など歴任。2004年株式会社CEAFOM創業。

国際大学、早稲田大学、一橋大学、九州大学など講義、講師多数。外国人記者クラブ、証券取引監視委員会など講演多数。著書、「ソニーが挑んだ復讐戦」。

ソニー創業者、井深大、盛田昭夫、大賀典雄の直属幹部として永年経営に参加し、社長賞4回の実績あり。現在、多くの企業に対し、経営全般、グローバリゼーション、事業企画などのテーマでアドバイスを行い、また、役員、幹部社員の研修講演なども行っている。


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