夏の風物詩といえば打ち上げ花火。うちわ片手に見上げる夜空に咲き誇る大輪の花は、日本人の心の原風景かもしれない。本格シーズンを前に、花火玉の製造は今が佳境。手作業で火薬を扱う花火師たちは、子供たちの笑顔を思い浮かべながら、花火玉づくりにいそしんでいる。
夏の風物詩といえば打ち上げ花火。うちわ片手に見上げる夜空に咲き誇る大輪の花は、日本人の心の原風景かもしれない。本格シーズンを前に、花火玉の製造は今が佳境。手作業で火薬を扱う花火師たちは、子供たちの笑顔を思い浮かべながら、花火玉づくりにいそしんでいる。
はるか遠くに富士山を望む房総半島の西岸、千葉県富津市に、昭和23年から花火の製造・販売を営む立石煙火製造所は工場を構える。敷地は広大で、周囲には3代目の花火師、立石泰之さん(55)らが暮らす母屋のほかに建物はない。住宅や公共施設から一定の距離を保たなければ花火製造はできないと定められているからだ。
「花火を作っている手元の撮影はできないんですよ。火薬を扱っているので…」。工場内の見学を希望した記者に、立石さんは申し訳なさそうに声を落として説明した。
戦後間もない頃までは、房総半島各地では素人が花火を作って夏のひと時を楽しんでいたという。こぢんまりとした日用品店を営んでいた祖父・和平さんは花火作りが上手で、お手製の花火を近くの田園で打ち上げたのが同製造所の発祥と伝わる。
現代においても花火作りは、ほぼすべての工程が人の手による。作り方は昔と変わらない。
最も重要なのが、火薬の塊である「星」作り。はじけたときの色合いや広がり方が異なる火薬を調合し、芯材に少しずつ火薬をまぶして丸め、数センチの球体にする。開いた花弁の色や形がきれいにそろうには「星」の粒をそろえることが肝心だという。
次に、数百個の「星」を球形の「玉皮」に絵を描くように詰めていく。どの角度から見てもゆがみなく均一に花開くには、この工程がポイント。外側に和紙を幾重にも貼り合わせ、乾燥させて、ようやく花火玉が出来上がる。
直径15センチに満たない4号玉でも、打ち上げれば空に直径130メートルほどの光の円が描かれる。直径約30センチの尺玉ならば、花はざっと320メートルの大輪となる。
元をたどれば打ち上げ花火は、娯楽ではなく祈りだった。江戸中期の享保年間、飢饉(ききん)と疫病で多くの死者が出た際に、慰霊と悪疫退散を祈念して江戸東部を流れる隅田川で奉納されたことが花火大会の始まりとされる。
打ち上げも花火師の仕事。先人の思いを大切にしようと、立石さんは平成30年から富津市内で東日本大震災の追悼花火を実施。コロナ禍の令和2年には修学旅行が中止になった子供たちを励ますため、悪疫退散祈願の花火を打ち上げた。
「地元の花火屋さん」として地域に根を張る立石煙火製造所には、依頼が引きも切らない。7〜8月だけで、地域の祭りやイベント、観光施設のショーなど30回近くの打ち上げを任される。ざっと2日に1度のハイペースだ。
人口が減り子供が減り、打ち上げに適する広場や河川敷も少なくなった。それでも一番人が集まるイベントが花火大会という地域はまだまだ多い。立石さんは「花火玉の製造と準備、打ち上げ場の現地調査に設営…この2カ月は一日も休みはありません」と駆け回る。
轟音(ごうおん)とともにはじけて花開くあでやかさと、はらはらと散り落ちるはかなさ。闇をキャンバスに色と光と音が織りなすダイナミックな芸術作品。「遠くから近くから、空を見上げるだけで何十万人もが一斉に同じものを楽しむことができる。こんな娯楽はほかにありません」と立石さんは力を込めた。(田中万紀)
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明治学院大学 経済学部准教授