棚橋康郎「自分の頭で考え、自分の言葉で語る」(前編):西野弘のとことん対談(2/2 ページ)
いまだ“カオス”である日本の情報システム開発――他にも大小のトラブルが相次いでおり「このままでは情報サービス産業は日本経済のアキレス腱になりかねない」と言い放つ“警世の士”がいる。
棚橋 いや、当時の鉄鋼会社は男性的で、おおらかなところがありましたね。そんなわけで、私はゼミもそうだけど、就職も“裏口”なんです(笑)。
西野 その後、八幡・富士の大合併によって新日鉄が誕生しますね。当時、棚橋さんは……。
棚橋 入社7年目、販売管理部の企画係でした。まだ30前の一担当者、その若造が大きな仕事を任せられましてね。合併後の営業組織をどうするか、業務プロセスをどうするか、それを設計するのが私のミッションでした。八幡と富士は戦後、「過度経済力集中排除法」によって旧日本製鉄から分かれた同根の会社で、20年ばかり別々だったに過ぎないんです。しかし、組織は生き物なんですねぇ、仕事のやり方が末端まで変わってしまっていて、統合は苦労しました。
西野 人事も“たすき掛け”と言われましたね。
棚橋 ええ、松葉模様とかね・・・・・・。会社は「和をもって尊しとすべし」などと言っていましたが、私は不満で、中途半端はいかんと思っていました。違いがあるなら、殴り合うくらい徹底的に議論して何が一番いいか決めるべきであって、最大公約数か最小公倍数か分からないようなやり方はよくない。そう思って当時の稲山(嘉寛)社長に会見を申し入れたんです。
西野 社長に? はあ・・・・・・、やっぱり変わられてますよね。
棚橋 一担当者が馬鹿か、という感じですよね(笑)。それでも、稲山社長は握り潰すのも可哀想だと思われたんでしょう。徳永(久次)専務にお鉢が回って、築地の河豚屋に連れてってもらいました。そこで正論を述べたつもりなんだけど、なにしろ、河豚なんて食べたことない。料理に眼がいっちゃってね(笑)。
西野 河豚の毒に当てられちゃったわけですね(笑)・・・・・・。専務さんは何と言われました?
棚橋 まあ、「君たち、その勢いでやりなさい」ということでしたが、徳永さんという人は語尾のはっきりしない人でね(笑)。年輪の差というか、フワーッと包み込まれて終わっちゃいました。ただ当時の新日鉄には、このような行動が許される風土があったんです。
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