西原春夫「人生はすべて偶然で決まる」(前編):西野弘のとことん対談(2/2 ページ)
少子化の進行に伴い、我が国の大学は間もなく“淘汰の時代”を迎える。それを早くから予見し、国立大学とは違う独自の私学マネジメントを訴えてきたのが、早稲田大学元総長の西原春夫名誉教授だ。
西野 つまり、思考のデジタル化ですね。そういう時代認識から法律家を目指されたのですか。
西原 いや、最初は童話作家になりたいと思っていました。私の家は父が国語教育の専門家だった関係で本が溢れていましてね、小学4年生で『坊ちゃん』を読み、6年生ではもう菊池寛や永井荷風を卒業していた。文学の世界で生きたいと思っていたんです。そこへ終戦ですよ。まさに「国敗れて山河あり」で、苦しい生活でした。高校生なりに国家とは何かを考えて、その骨格は法律制度だと思ったんです。それで法学部を受けました。
西野 ご専攻は刑法を選ばれましたね。
西原 私の出発点は人間に対する興味ですから、商法とか税法にはあまり関心がなかったですね。人間は誰でも欲望をもっている。いつもは理性で抑えているけど、そのバランスが崩れた時、犯罪が起こる。犯罪と刑罰の背景には生々しい人間の葛藤があって、刑法は極めて人間的な学問なんです。当時、早大の法学部には斉藤金作先生という刑法学の権威がおられた。先生の講義は脱線の連続なんだけど、非常に質の高い人生論なんですね。それにすっかり魅せられて大学に残りました。
西野 すると、大学生活はひたすら勉強ですか。
西原 ところがそうじゃない。私は中学校から水泳部にいて、学部時代はその監督で無我夢中。大学院に入ってからは勉強に専念しましたが、それでも根が文学少年ですから、小説も読みたいんですよ。
当時、私は吉祥寺に住んでいて、早稲田まで電車だけで40分かかりました。そこで1つ工夫した。電車の中では法律の本は読まない、机の上では小説は読まない、というルールをつくったんです。これが習慣になって、後に大学紛争のひどい時代でも、多くの学生担当教員がノイローゼになる中で、私はならずに済みました。
西野 なるほど。小説が精神安定剤になったと・・・・・・。
西原 頭の切り替えですね。困難な時ほど、司馬遼太郎などの歴史小説を読むんです。例えば徳川家康は一族郎党の存亡に関わることで悩んでいる、それに比べたら大学紛争なんて大したことない、そう思えましたね。
天命に従う――早大総長として模索した私学のマネジメント
西野 先生はその後、早大の総長に就かれ、まさに大学のマネジメントに乗り出されたわけですが、総長選挙に出る決断はどういうものだったのですか。
西原 人生はすべて偶然で決まる。大事なことほど偶然で決まるんですね。早大はちょうど私が総長に就いた82年に、創立100周年を迎えました。79年10月の評議員会で記念事業計画と200億円の募金計画が決まったんです。その直後、商学部の不正入試が発覚した。
西野 憶えてますよ、私が早大を卒業した年に起きた事件でしたから・・・・・・。当時は大変だったでしょう。
西原 大変でした。受験ブローカーと結託して問題用紙を印刷所から盗み、1枚1000万円で売っていた職員グループがいたんですね。これは窃盗事件です。警察への対応もあり、刑法専攻の私が事件処理の責任者にされたんです。新聞記者に追いかけられ、家にも帰れずホテル住まい。学内は自殺者も出て騒然とする。本当に大変でした。
当時、次期総長候補として自他ともに認める、優秀な常任理事が2人おられたんですが、2人とも引責辞任された。その結果、私に総長が回ってきたんです。これは天命だと思いました。天命には逆らってはいけない。
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