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【第7回】武家の歴史に見るミドルの力ミドルが経営を変える(2/2 ページ)

これまで数回にわたり、日本企業においてミドルが経営者を退任に追い込んだ例を紹介した。実はこうした行動は今に始まったことではない。約300年前から既に日本のミドルは「公然」とトップに引導をわたしていたのである。

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押込は公式行事だった

 有馬藩のように藩政の混乱を招いた藩主、あるいは遊興三昧で藩政を顧みない藩主に対して、家老を含む家臣団による「押込」と呼ばれる制裁メカニズムが発動されるのは珍しくなかった。仙台藩伊達家、岡崎藩水野家といった名門の大名家でも、押込が記録されている。

 押込は次のような段階を踏んで実行された。まず問題のある藩主に対しては、家老らが言葉でいさめる忠言が行われた。藩主がそれを受け付けない場合には、家老や重臣の指揮の下に下位の家臣が藩主の刀を取り上げ、その身柄を拘束し座敷牢などに監禁した。幽閉して改心を促したのである。改心困難と判断したときには、藩主の地位を奪い、隠居させ、新藩主の擁立に動くという厳しい制裁を行った。

 従臣の手で廃位し新しい主君を擁立する「主君廃立行為」が主君押込だった。こうした行為は、謀反あるいは人の道に背いた行いにみえるが、そうではなかった。慣行といえるほど日本の近世の武家社会に広く浸透しており、問題ある藩主を懲罰することは謀反ではなく当然の務めだと認識されていた。そのため押込の宣言は、藩の政治や儀礼を挙行する公式の場である表座敷でとり行われた。決して「藩主の寝込みを襲って」などではなかった。藩主が表座敷に現れたとき、家老や重臣たちが面前に列座し、次のように宣言し、押込の開始が告げられたのである。

 「御身持宜しからず御慎しみあるべし(お身持ちよろしからず、お慎みあるべし)」(原文ママ)

上長に対しては「異見」を

 このように組織階層の下にいる者が上に対して「モノ申す」ことは、明治時代になっても慣行とみなされていた。明治政府の「官吏服務規律」第二条がそれを示している。

 「官吏はその職務につき本属長官の命令を順守すべし。但しその命令に対し意見を述(のぶ)ることを得(う)」(原文ママ)

 この官吏服務規律とは、明治政府に勤務する官僚たちの基本法であった。上の一文は、政府の官僚たるもの職務遂行においては所属長の命令を守らねばならない。しかし、長の命令に対して自分の意見を述べることができる、という規程である。

 この中で、「意見を述べることができる」という部分が注目すべき点だ。ここでの意見とは、単なる意見や感想ではなく、所属長の意見に対する自らの「異見」と解釈される(単なる意見や感想が求められているのであれば、わざわざ、法律条文に明記されることはない)。明治の世では、モノ申すことが官僚の服務規程に盛り込まれていたのである。

 一方で、現代の「国家公務員法」では、「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」と記されているだけである。果たして、官僚組織と並び現代を代表するヒエラルキー型組織の企業組織においては、モノ申す下支えはきちんとあるのだろうか?


プロフィール

吉村典久(よしむら のりひさ)

和歌山大学経済学部教授

1968年奈良県生まれ。学習院大学経済学部卒。神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了。03年から04年Cass Business School, City University London客員研究員。博士(経営学)。現在、和歌山大学経済学部教授。専攻は経営戦略論、企業統治論。著作に『部長の経営学』(ちくま新書)、『日本の企業統治−神話と実態』(NTT出版)、『日本的経営の変革―持続する強みと問題点』(監訳、有斐閣)、「発言メカニズムをつうじた経営者への牽制」(同論文にて2000年、若手研究者向け経営倫理に関する懸賞論文・奨励賞受賞、日本経営倫理学会主催)など。


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