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【第8回】商家の歴史から現代企業は何を学ぶかミドルが経営を変える(2/2 ページ)

経営学において、これまで「異端」とされてきた伝統的な日本企業の研究が注目を集めている。数百年と続く長寿企業を分析して現代の経営に生かそうとする動きも多いという。

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分家が結束してトップを隠居に

 江戸期の近江商人の事例を挙げる。経営史家で筆者の同僚でもある和歌山大学・上村雅洋教授の研究によれば、近江商人には本家の主人に対してモノ言う経営上の慣行があったという 。当時の商家の組織は、中心に本家、その周りに本家の兄弟と血縁関係にある分家、奉公人がのれん分けした別家が配置されていた。一見すると、本家と分家や別家は縦の従属関係にあったと思われるが、実際はそうではなかった。分家や別家の重要な役割に、本家に対する積極的な忠言があったのだ。先祖からのおきてを破り不法を働いた本家の主人に向かって、分家らが協議し、家業永続のために隠居させることさえあったという。

 例えば、1566(永禄9)年創業で近江商人にルーツを持つ寝具・インテリア用品の西川産業(西川グループ)のWebサイトでは、同社にあった制度が以下のように紹介されている*4

三者共同責任性による相互チェック運営

三代目利助の頃から実施していた従業員に分家の資格を与える別家制度を、7代目が「定法目録」として明文化した。これによれば、「本家・親戚・別家」の3者共同責任性よる相互チェック運営を行い、グループの存続と体質強化を図ったことがうかがえる。



 同社の7代目である利助は、1700年代の末に活躍し、同社の中興の祖と称される人物である。この利助が本家に対してモノ言う仕組みを作り上げたのである。しかし皮肉なことに、8代目となった利助の長男はお茶屋遊びが目に余るとして別家の怒りを買い、最終的には引退勧告を受け入れて当主の座を降りざるを得なくなった。

一従業員として修行

 近江商人以外にも同様の仕組みを持つ商家はある*5。1666(寛文6)年に初代湯淺(ゆあさ)庄九郎が京都で創業して以来、長い歴史を持つのがユアサ商事である。創業当時は木炭商で、現在は機械および住宅関連の専門商社となっている。同社は長年、創業家の湯淺家から当主が選ばれてきた。同社をここまでの長寿企業に仕立て上げたのが、江戸中期に定められた「店主(当主)のおきて」の存在である。これが問題ある当主に対する(部下に当たる)番頭の対抗力を生み出してきた。

 湯淺家では、当主の座を相続する立場にある者は元服後、当主がいる京都の本店ではなく、番頭が仕切る江戸の店で修行することが義務付けられていた。修行に際しては、主人のように振舞わず店員とともに働き、わがままな行いがあればいかなる罰でも受けるなどという誓約書を書かされた。修行が終わり家督を相続するときも、家業に励み無益な遊芸はしないなどの誓いがなされたほか、道理に外れることがあれば隠居させられても不服は申したてないという証文を書かされたのである。

 こうした厳しいおきてにより、番頭が当主を罷免することが可能だったわけである。日本の江戸期の武家や商家にみられたモノ言う慣行と、それを担保する仕組みの存在。現代の日本企業やそこにあるミドルが学ぶべきことは多い。


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プロフィール

吉村典久(よしむら のりひさ)

和歌山大学経済学部教授

1968年奈良県生まれ。学習院大学経済学部卒。神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了。03年から04年Cass Business School, City University London客員研究員。博士(経営学)。現在、和歌山大学経済学部教授。専攻は経営戦略論、企業統治論。著作に『部長の経営学』(ちくま新書)、『日本の企業統治−神話と実態』(NTT出版)、『日本的経営の変革―持続する強みと問題点』(監訳、有斐閣)、「発言メカニズムをつうじた経営者への牽制」(同論文にて2000年、若手研究者向け経営倫理に関する懸賞論文・奨励賞受賞、日本経営倫理学会主催)など。


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