【第2回】忘れ去られた「顧客」、そして「長期」という視点:石黒不二代のニュースの本質(2/2 ページ)
米国の投資銀行がつくり上げた“虚構の市場”は、世界中に甚大な打撃を与えるまでになった。その虚構のビジネスモデルを支持した企業は、経営において最も大切な「顧客」を金もうけの道具としか見ていなかったという。
虚構の市場で欠落していたものとは?
米国を震源地とする、投資銀行やクレジット社会がつくり上げた信用市場、いわば虚構の市場が膨らんでいたわけです。その崩壊で全体の市場規模が縮小したのですから、生産の実態をその規模に合せることは当面の政策として必須のことです。問題は、その後、どのような新しい市場を創造するのかということになります。
この虚構市場でまったく欠落していたものは何でしょう。それは、ビジネスを創造する上で最も大切なもの――「顧客」です。笑ってしまいそうですよね。でも、利益を優先すると、利益自体が目的となってしまい、顧客の満足という本来追求すべきものを見失ってしまうことはよくあることなのです。いかに顧客不在であったか、わたしの経験を基に、顧客の立場からこの虚構市場を説明してみます。
米国の住宅ローンの実態
わたしは米国に在住していたときに住宅ローンを利用していました。サブプライムではなく普通の住宅ローンですが、ここにも金融機関同士の巧みなやり取りが垣間見えました。ローンを利用していたのはわずか5年、金利自体は変わることはなかったのに、ローンの発行体が3回変わりました。企業買収により持ち主が代わったほか、ローンの所有者自体が代わったこともあります。通常、米国のサービスの質は日本にいると考えられないくらい低いものですが、このローンの変更に関しては、同じアメリカ人がしているのかと思えるほどスムーズでした。
ある日、ローンの発行体が変わったと連絡が来ました。それは「あなたには何の迷惑もかけません」という手紙が入っているだけです。わたしたちは、その変更にサインするだけで完了するのです。一般のサービスの質は低くても利益を上げるための金融機関同士のインタラクションの設計は完璧です。
ローンの発行体を変更することにより、金融機関は利益を得ます。住宅が値上がりするという状況がある限り、新顧客を獲得することができ、複数のローンをまとめたり、金利差を利用するなど、まるで株式市場のアービトラージ(裁定取引)のようなことが可能になります。しかし、これらの取引の規模がどんなに大きくなっても、実際に取引を利用している顧客だけは不在の状態なのです。顧客は利益を上げるためのツールとしてしか利用されていません。
ローンの組み換えが横行
この虚構市場には「長期」という視点も欠落しています。本来、ビジネスは顧客の利益にならなければ成り立たないはずですが、この顧客視点が短期的であっては、せっかくの利益も近い将来損失となって戻ってきます。こんなこともありました。既にサブプライムが実際には飽和状態だった2007年のことです。
米国では住宅ローンの組み替えにまったく手数料が発生しません。組み替えのハードルは低く、市場が成長している限り、各ローン会社は金利という価格で勝負します。顧客にとってはまさに天国です。次から次へと住宅ローンの組み換えが起こっていました。わたしの知り合いのベンチャーキャピタリストは「今月だけでローンを7回組み替えたわ」と自慢げに話していました。米国でベンチャーキャピタリストといえば、通常、起業して成功した人とか、大企業の幹部だった人たちがなる職業です。つまり、金銭的に最も成功した人たちなのですが、たとえ一部だとしても、彼らでさえ、1カ月に7回も住宅ローンを買い替えていてはたまりませんね。価格競争は、通常、顧客にとってはよいことですが、上記のケースだと供給する側は、利益が日増しに下がり、組み替えされるたびにコストがかかるという末期的な状況に陥っています。
実体経済の市場規模が小さくなってしまったために、各企業は当面、リストラなどで市場規模に合せるように経営の実態をシュリンクさせています。しかし、中長期的には新しい市場を創造することが必要です。新しい市場は実態のない信用市場でなく、顧客がその中心にある実体経済の拡大でなければ長続きしません。
企業は、顧客が2、3年後にどうしたら幸せになれるのか、そんな当たり前のことを考えて経営をしなければなりません。当たり前の経営に戻りたいものです。
プロフィール
石黒不二代(いしぐろ ふじよ)
ネットイヤーグループ株式会社代表取締役社長 兼 CEO
ブラザー工業、外資系企業を経て、スタンフォード大学にてMBA取得。シリコンバレーにてハイテク系コンサルティング会社を設立、日米間の技術移転などに従事。2000年よりネットイヤーグループ代表取締役として、大企業を中心に、事業の本質的な課題を解決するためWebを中核に据えたマーケティングを支援し独自のブランドを確立。日経情報ストラテジー連載コラム「石黒不二代のCIOは眠れない」など著書や寄稿多数。経済産業省 IT経営戦略会議委員に就任。
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