欧州随一の指導者に学ぶ――「モウリーニョの流儀」:経営のヒントになる1冊
選手として名声を得ることはなかったが、サッカー監督としていくつもの輝かしい功績を作り出し、ついにはヨーロッパ最高峰まで登りつめた若き指導者・モウリーニョ。彼のリーダーシップから学ぶべき点は多い。
「わたしは自分が世界一の監督だとは思わない。しかし、私以上の監督がいるとも思わない」――。これはジョゼ・モウリーニョがイタリアのサッカーリーグ・セリエAのインテルナツィオナーレ・ミラノ(インテル)監督に就任して間もなく、イタリアのスポーツ紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』の取材で発した言葉である。
モウリーニョは今や世界のサッカー界において最も注目を集めている指揮官といえよう。そのキャリアは華々しい。2000年に自国・ポルトガルの古豪チームであるベンフィカで監督としてのキャリアをスタートさせたモウリーニョは、その後、2001年にウニオン・レイリア、2002年1月には当時不調にあえいでいたFCポルトに引き抜かれ、リーグ途中からの指揮にもかかわらず最終的に3位にまで順位を押し上げた。2002年/2003年シーズンは、国内リーグ、ポルトガルカップ、そしてUEFAカップで優勝し見事三冠を達成する。快進撃は止まらず、翌2003/2004年シーズンには、国内リーグ2連覇に加え、ヨーロッパサッカーの最高峰であるUEFAチャンピオンズリーグを制覇する。
輝かしい功績を引っ提げて、モウリーニョは英国にわたる。2004年/2005年シーズンからはプレミアリーグのチェルシーで指揮をとり、リーグ優勝、リーグカップ優勝、FA優勝といった結果を確実に出していった。
本書は、その後2008年にチェルシーからインテルの監督に就任してからの1年を追った1冊だ。欧州強豪クラブで結果を出し続けてきた名将は、いかにしてイタリアを征服したのか。一挙手一投足が注目されるモウリーニョの饒舌な発言を基に、イタリア在住14年の日本人ジャーナリストが適確な分析を行っている。
モウリーニョ流のマネジメントは実にシンプルである。規律を重んじてチームのルールを徹底する。その1つが「遅刻」だ。例えば、練習やミーティングなど決められた集合時間に1分でも遅れようものであれば、激しく非難し、厳重な制裁を下す。たとえ、チームのオーナーやレギュラー選手であってもだ。実際に、インテルのエースストライカーだったブラジル代表選手のアドリアーノは規律違反によりスタメンを外されることとなった。
一方で、試合の勝敗に関しては、勝てば選手たちの働きを大いに称え、負ければすべて監督自身の責任だとすることで、自分に対しても厳しい環境を作り出しているのである。
強い組織を作り上げるために必要なものは何か。リーダーとしてのあるべき姿とは。分野は違えど、企業の経営者たちがこの若き指導者、モウリーニョから学ぶべきことは多いのだ。
*** 一部省略されたコンテンツがあります。PC版でご覧ください。 ***
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- スポーツドクター奮闘記:【第2回】アスリートを勝利に導く環境づくり
スポーツ選手が世界の舞台で勝つために最高のコンディションを用意してあげるのがスポーツドクターの責務です。メディカルチェックなど医師としてのアプローチは当然のこと、食堂や風呂場でのちょっとしたコミュニケーションも軽視できません。 - 問われるコーチング力:WBCの監督に学ぶ、超一流社員を率いるためのリーダー術
球界におけるトップクラスの選手が集まったWBC日本代表チームを率いる原監督の手腕は見ものである。企業のリーダーにとっても学ぶべき材料は多いといえよう。 - 「世界一蹴の旅」からすべて教わった:南アフリカで痛感した「自己責任」の重要性
ブラジル代表の優勝で幕を閉じたFIFAコンフェデ杯。開催地となった南アフリカでは、来年のW杯本番に向けてスタジアム建設などが急ピッチで進む一方で、治安の悪さを懸念する声も聞こえる。現地の今をレポートする。 - 問われるコーチング力:星野ジャパンが勝てなかった理由
おおかたの期待を裏切り北京五輪4位に終わった野球。なぜ星野ジャパンは勝てなかったのか? 企業における組織のあり方から考えてみたい。