日本のスポーツ強化に向けてやるべきこと:小松裕の「スポーツドクター奮闘記」(2/2 ページ)
オリンピック前後に限らず、従来から日本のスポーツ強化に対する議論は盛んです。しばしば「もっとスポーツ選手や施設に国家予算を投入すべきだ」という意見を耳にします。これは確かに重要ですが、ことはそう単純ではありません。
数々の偶然
自分自身を振り返ってみると、スポーツの世界に深くかかわるようになったのは数多くの偶然がありました。大学を卒業し、医者になって研修先として選んだ東京・広尾の日赤医療センターに、たまたまアイスホッケーやバスケットボールのチームドクターをしている先生がいました。「医療にはこんな世界もあるのか」と初めて知ったわたしに対し、その先生から「小松君ちょっとやってみる?」と声を掛けられ、練習中に突然死したバスケットボール選手に関する研究を学会発表することになりました。
それが縁で日本バスケットボール協会の医科学委員会に入れてもらい、現在東芝病院におられる増島篤先生と出会います。野球に医科学支援がまだなかった時代、バルセロナオリンピックの後に増島先生から「ちょっと野球も手伝ってよ」と言われ、野球の医科学委員会に入りました。野球のチームドクターとして初めて帯同したのが、1994年に広島で開催されたアジア大会、その2年後のアトランタオリンピックにも帯同しました。そこでの仕事ぶりに一応合格点を与えてもらえたのでしょう。次はソフトボールからも声が掛かり、シドニー、アテネとソフトボールのチームドクターとしてオリンピックに帯同しました。
その後、現在在籍する国立スポーツ科学センターに来て、アテネオリンピックの時に体操のコーチと同室だったことが縁で、体操競技も手伝うようになりました。さらには、師匠・増島先生から「レスリングも手伝ってよ」と言われ、レスリングにもかかわるようになりました。このように、たくさん経験させていただいてわたしは育ちました。
スポーツドクターの養成システムを
現在まで長く続いているのは、こうした仕事がわたしに向いていたからでしょうが、残念ながら偶然頼みだけでは新しい人材は育ちません。人材を発掘して、スポーツの現場に深くかかわるスポーツドクターを養成する「システム」を早く作らなければいけないのです。
どうも医者の世界というのは、職人気質なところがまだ残っていて、「先輩の技を見て盗め」、「たくさん経験を積め」といった指導がなされることが多いです。もちろん大事なことですが、それだけでは世の流れに取り残されてしまうような気がします。
今年度から日本オリンピック委員会(JOC)でも「ナショナルコーチアカデミー・メディカル版」として、スポーツの現場で活躍するドクターを養成するための講座を開始しました。日本のスポーツが強くなるために、選手にだけ目を向けるのではなく、選手を支える人材の育成にも目を向けることが必要なのです。
世界を駆け回るドクター小松の連載「スポーツドクター奮闘記」、バックナンバーはこちら。
著者プロフィール
小松裕(こまつ ゆたか)
国立スポーツ科学センター医学研究部 副主任研究員、医学博士
1961年長野県生まれ。1986年に信州大学医学部卒業後、日本赤十字社医療センター内科研修医、東京大学第二内科医員、東京大学消化器内科 文部科学教官助手などを経て、2005年から現職。専門分野はスポーツ医学、アンチ・ドーピング、スポーツ行政。
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