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バカ上司その傾向と対策『坂の上の雲』から学ぶビジネスの要諦(2/2 ページ)

サラリーマンが集まれば、どこの居酒屋でも上司の悪口が飛び交うように、古今東西とんでもない上司は、どこにでもいる。時にはひどい上司とは戦う必要がある。その対策とは?

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バカ上司との戦い方

 バカ上司の存在は、部下のみならず会社にとっても決してよくない。だから戦う必要がある。戦うといっても喧嘩をするのではなくこちらの言い分を通すことであり、その方法を紹介したい。

 ・会社にとってバカ上司の姿勢や行動が明らかにおかしいかどうかを冷静に見る。決して自分の損得や好き嫌いで上司を判断しているのではなく、会社の観点や善悪で判断していることを再確認する。目的はあくまで会社や組織のため。

 ・仲間を増やすこと。1人で戦っても討ち死にする確率が高い。部署内や同僚にひとりでも多くの理解者を得ておく。

 ・意見具申や提案としてできるだけ多くの証拠を残す。例えば、口頭での指摘のほかにメールや報告書を書く。バカ上司の上司にもCCをする。

 ・外堀を埋める。例えば、バカ上司の上司に機会があるときに問題点を伝えておく。上司の上司も結構バカ上司の問題点を知っているもの。

 ・戦い始めたら、徹底的にやる。バカ上司は部下の不安心をよく心得ていて、躊躇するところを見るや反撃に出てくる。隙を見せる部下には押しまくるが、部下が徹底抗戦派と見るや逃げる。

 ・もし喧嘩となるのであれば、人が見ているところで喧嘩する。バカ上司との一対一の戦いは避ける。その場に証人がいることが重要。

 ・肉を切らせて骨を断つ。バカ上司は、別の案件を持ち出してきたり、人の弱みをついてきたりするが、譲るべきところは譲って、絶対に譲れないところだけを獲得する。

 ・相手の逃げ道を作る。バカ上司を論破したら気持ちはいいが、それは目的ではない。取るべきところを取ったら、例えば「こんなことはよくあることですよね」と逃げ道を作ってやる。できない人ほど「逃げ道を作ってくれた」と感じるもの。

「坂の上の雲」から学ぶ

 残念ながら「坂の上の雲」には、部下がバカ上司と戦う場面は出てこないが、言うべきは言わなければならないという場面がある。

 明治新政府は、陸軍はフランス、海軍はイギリス方式を取り入れたが、仏独戦争(1871年)でドイツが勝利すると、陸軍ではドイツ方式にすべきとの議論が高まり、結果、明治21年(1888年)に日本陸軍は切り替えをした。

 切り替えの仁義を切るために、陸軍卿である山県有朋が訪仏した際に、当時フランスに留学していた秋山好古が、はるか上級の山県にモノを言う場面が描かれている。

 好古は、戸口に立っている。

 言おうか。

 と何度かおもったが、山県がしきりにドイツを賞賛している最中に、フランス式乗馬術の優越性を説くのは水をさすようで、わるいような気がした。

 が、いわねばならないとおもった。ここで言わなければ、日本の騎兵は、あの非合理なドイツ騎馬術の金縛りにあって身動きがとれなくなろうであろう。(中略)

 「申し上げたい結論は、馬術という一点においてはドイツ式が欧州馬術界の定評になるほどに欠陥があり、フランス馬術がきわめて優越性に富んでいる、ということであります」(「坂の上の雲」、司馬遼太郎、文春文庫)


 トップに異論を唱えるには勇気が要るが、必要な提言はしなければいけない。風見鶏のような上司が多いことには異論を待たないであろう。

 もう一つは、責任転嫁の場面。旅順港の203高地を攻めあぐねている日本陸軍第3軍の伊地知参謀は、児玉源太郎にこう反論した。

 「旅順のこの戦況をもって第3軍司令部のみの責任にしようとなさるのは、閣下の卑怯というものでしょう。まず大本営が悪い。同時に、閣下、あなたの御責任でもあります。(中略)たとえば閣下、閣下は私が申請した砲弾量を満足に呉れたことがありますか」


 伊地知のあまりに幼い理論に児玉は言葉を失った。砲弾不足は、日本軍全体の問題であり、乏しい砲弾を旅順に優先している事情も伊地知は理解しない。そして児玉はこう続けた。

 「陸軍参謀でありながら、おのれの作戦の責任を転嫁するというなら、いっそステッセルのもとに行って責任を問うてきたらどうだ。貴官が強すぎます。責任は貴官にあります」


 ステッセルとは、ロシア軍の大将である。「日本が勝てないのは、ロシア軍が強すぎるからだと責任転嫁するのか」との児玉の問いである。

 自責と他責が区別できない参謀では情けない。

 上司に向かって他責を言う伊地知は、勇気があるのかバカなのかよく分からないが、いまでも何ごとも部下の責任にするバカ上司が大勢いる。

 ところで、いま部下のいない人でもいずれは部下ができる。そのときに自分がひどい上司のどれかにならないようにしたいものである。

 「反面教師」という言葉は知っている通りであるが、ひどい上司からでも学べることはたくさんある。

 わたしが若い頃とんでもない上司に悩んでいた時、ある取引先の先輩からこう言われた。「古川君は恵まれない上司に恵まれている。将来きっといいことがある」と。それを聞いて、気持ちがスーッと楽になった。

 読者の皆さんも恵まれない上司に恵まれているかもしれないが、その言葉を信じてご活躍いただきたい。

著者プロフィール

古川裕倫

株式会社多久案代表、日本駐車場開発株式会社 社外取締役

1954年生まれ。早稲田大学商学部卒業。1977年三井物産入社(エネルギー本部、情報産業本部、業務本部投資総括室)。その間、ロサンゼルス、ニューヨークで通算10年間勤務。2000年株式会社ホリプロ入社、取締役執行役員。2007年株式会社リンクステーション副社長。「先人・先輩の教えを後世に順送りする」ことを信条とし、無料勉強会「世田谷ビジネス塾」を開催している。書著に「他社から引き抜かれる社員になれ」(ファーストプレス)、「バカ上司その傾向と対策」(集英社新書)、「女性が職場で損する理由」(扶桑社新書)、「仕事の大切なことは『坂の上の雲』が教えてくれた」(三笠書房)、「あたりまえだけどなかなかできない51歳からのルール」(明日香出版)、「課長のノート」(かんき出版)、他多数。古川ひろのりの公式ウエブサイト。


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