『盤上の夜』著者 宮内悠介さん:話題の著者に聞いた“ベストセラーの原点”(2/2 ページ)
将棋、囲碁などのボードゲームを中心に据え、一人のジャーナリストを通して、ゲーム、競技のさなかに起こった人知を超える事件が語られている。古くから人間が親しみ続けてきた“ボードゲーム”にどのような可能性を見出したのか。
――宮内さんが小説を書き始めた経緯はどのようなものだったのでしょうか。
宮内:「16、17歳くらいの頃に新本格ミステリにハマったのがきっかけです。それこそ綾辻行人さんとか。それと、当時たまたま隣のクラスに“犯人当てたらカレー一杯おごるよ”って言って、自分で書いた犯人当て小説を学校に持ってくる人がいまして、“おもしろそうだから俺もやってみよう”と思ったのが最初です。そこからはずっと書いています」
――高校生の頃から書き始めるというのは、比較的早い気がします。
宮内:「早いかどうかはわからないですけど、隣のクラスでは盛んでした。うちのクラスでは音楽の方が盛んでしたが」
――音楽もやっていらっしゃったんですか?
宮内:「小説よりも音楽の方が早くからやっていました。小学六年生の時にMSXという8ビットのパソコンを買ってもらいまして。それが音源の積まれた機種でしたので、じゃあ曲を作ってみようと。家に楽器があったから弾いてみた的な始め方でした」
――次に、読書についてお話を伺いたいのですが、小説を書き始める前から本は好きで読んでいましたか?
宮内:「遡るとどこまで行くかわからないのですが、“これすげえ!”“これ面白い!”となったもので明確に覚えているのが(フィリップ・K・)ディックとドストエフスキーです。でも、当時は何と言いますか、“本”とか“文学”とか、そういう枠組みを意識したことがなかったんですよ。小説を表現形態として意識しながら楽しく見始めたのは、自分で小説を書き始めてからです」
――ご自身で小説を書き始めてから“これはすごい!”と思った作品があれば教えていただければと思います。
宮内:「数え切れないほどあるので、どれを挙げていいものか……(笑) さっきお話した綾辻さんや竹本健治さんは、自分にとって原体験的な作家ですから、自分の中を占める比重はとても大きいです。そこから物語、構造、文体といったものに目を向けはじめ、日本文学へ移行し、中上や大江、開高健あたりで第二の衝撃を受けました。その後がやっと世界文学です。ラテンアメリカ文学が好きになりましたね。ボルヘスとマルケスでいうと、マルケスの方が好きです」
――僕もマルケスの方が好きです。実はボルヘスは何回も挫折しているんです。最後まで読めなくて。
宮内:「私も読めたかどうか怪しいです。もしかしたら、どうこう言える段階ではないのかもしれません。で、読書遍歴的には、世界文学を経てようやくSFを再発見しました」
「質にこだわって、ヘンなものを」
――現在は長編を執筆中とのことでしたが、刊行のご予定はいかがですか?
宮内:「春ごろに2冊予定していまして、一つが長編で、もう一つが連作短編集です。長編は精神医学をテーマにした書き下ろしで、何事もなければ東京創元社から刊行されます。短編集のほうは、早川書房の『S-Fマガジン』に載せてもらった連作がありまして、それに書き下ろしの短編を一つ加えて一冊にまとめる予定です。こちらは“DX9”という楽器のような初音ミクのようなロボットが、世界各地で紛争や民族衝突、革命など色々なものと交差するという、ライトなようなヘビーなような、いわくいいがたい作品になる予定です」
――そういえば、宮内さんは海外を放浪していたことがあるとお聞きしました。
宮内:「放浪と呼べるかどうかは別として、大学を出て、アルバイトをして貯金して旅に出て、ということをやっていました。当時インドとアフガニスタンに行ってみたかったので、南アジアを回りまして。そこからは合間合間にどこかに行ってという感じですか」
――パキスタンにも行きましたか?
宮内:「インドからパキスタンに行って、アフガニスタンですね。その国境がカイバル峠と呼ばれる場所なのですが、円城塔さんと伊藤計劃さんの『屍者の帝国』に出てきまして、“俺、行ったことある!”と少しにやにやしました」
――かなり長期間にわたって海外に行かれていたかと思いますが、そもそもなぜ海外に出ようと思われたのでしょうか。
宮内:「高校時代からずっと小説を書いているのですが、理屈に偏りがちといいますか、頭の中だけで話を作りがちな、そういう傾向が自分にあるとわかりました。で、変な話なのですが、“この後仮に作家としてデビューできても、一作か二作書いて早々にフェードアウトしそうだ”と思うに至ったのです。明らかにポイントが間違っているというか、どちらかといえば、それを心配すべきはまさにいまこの瞬間なのですが、とにかくそう思ったわけです。それで、あわよくば自分の内面を広げて価値観も壊してみよう、と思い立ち日本を出ました。だから結果的には自分探しと何も変わらないと言いますか(笑) 」
――旅先で一番衝撃的だったことはどんなことでしたか?
宮内:「そういえば、南インドからカルカッタに電車で北上している時に、バングラディッシュの学生と友達になったことがありました。で、遊びに来てくれというので、バングラディッシュに行ったついでに彼の家に遊びに行ったんです。ところが私が訪ねた時に彼は不在でして、妹さんにお土産だけ渡して宿に帰ったのですね。すると、いったい何をどうしたのか、彼は私の宿を突き止めて、馬車にスーツに薔薇という出で立ちで迎えにきたんです。あれはびっくりしました(笑)季節的に日本人があまりいなかったからかも知れませんけど、それにしてもどうやって突き止めたのかと」
――そういった海外での体験を小説に書いてみようと思ったりもするのでしょうか。
宮内:「いずれは、という感じでしょうか。海外に行ったからといって、それを書くというのも安易な気がしますし。だから、まずは日本を描いて勝負して、という思いがありまして、『盤上の夜』の主な舞台が日本であるのは、それが理由です。 ただ、少し前、梓崎優さんが『叫びと祈り』を引っさげてデビューして話題になったのですね。これはジャーナリストが世界各地で謎と遭遇する話でして、最初がこれでもいいのだと驚いたことを覚えています」
――作家として、今後の目標や抱負があれば教えていただければと思います。
宮内:「まず作家を自称できるようになるのが目標です(笑) このままマグレがつづいて5年後10年後と仕事があり、まだ生きていれば、作家を名乗ってみたいところです」
――今は専業作家として活動していらっしゃるんですか?
宮内:「専業と言えば専業です。もともと仕事を辞めて途方に暮れているところ、新人賞に引っかかりまして。金がなくなるまで書けるだけ書いておこうと思い、それでいまに至ります」
――でも、今は賞も取られて忙しくなりそうですね。
宮内:「おかげさまで(笑)まだしばらくは大丈夫そうです」
――人生で影響を受けた本がありましたら三冊ほどご紹介いただければと思います。
宮内:「いっぱいあって難しいですね…。一冊目は大竹伸朗さんの『既にそこにあるもの』にしようかな。「ヤマンタカ日記」というエッセイが収録されていまして、ボアダムズの山塚アイと曲を作る話なのですが、これがまた自由な発想の宝庫で、自分の創作の原点になっている気がします。二冊目は、法月綸太郎さんの『パズル崩壊』を。これは短編集なのですが、「カット・アウト」という中編が理想の一つなのです。最後に飛浩隆さんの『象られた力』を。これは語れないです。“そういえば小説って面白いものだった!”と何か大事なものを再発見させてくれました」
――最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いできればと思います。
宮内:「『盤上の夜』は手探りで書いた念願の最初の小説なのですが、みなさんの応援のおかげで次につながりそうなので、とにかくそのことをありがたく思っています。しかもそれが、あろうことか直木賞の候補になったり、それどころかSF大賞まで取ってしまってと、なんだか恐ろしいようでもありますが、がんばって質を重視しつつヘンなものを書いていく予定ですので、どうか、ひきつづき応援いただければと思います」
取材後記
自作について丁寧に語る宮内さんからは“小説を読むのも書くのも大好きな人”という印象を受けました。
今回取り上げた『盤上の夜』は、竹本健治の「ゲーム三部作」を踏まえているといいながらも、オリジナリティでは抜きんでた一冊。本当におもしろいのでぜひ読んでみてください。
著者プロフィール
宮内悠介
1979年東京生まれ。1992年までニューヨーク在住、早稲田大学第一文学部卒。在学中はワセダミステリクラブに所属。海外を放浪したり麻雀プロの試験を受けたりと迷走ののち、プログラマーに。2010年「盤上の夜」で第1回創元SF短編賞最終候補となり、選考委員特別賞である山田正紀賞に輝く。
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