『アニバーサリー』著者 窪美澄さん:話題の著者に聞いた“ベストセラーの原点”(2/2 ページ)
登場人物の女の人の人生が変わってしまう。それがいいことか悪いことかは分からないが、人生が大きく変わった節目という意味ある。
――作中で、カメラマンの岸本が写真の道に進もうとしている真菜に「感性だけでは行き詰まる」と言う場面があります。小説に置き換えてお聞きしたいのですが、窪さんが小説を書く時、感性や技術といった構成要素はどれくらいの割合になっているのでしょうか。
窪:「前々作の『晴天の迷いクジラ』の中で『表現型の可塑性』という言葉を使って書いたんですけど、才能を持っているだけでは世の中渡っていけないと思っていて、自分が持っているものをある程度周りの環境に合わせて変えていくっていうことも大事だと思います。
小説にしても、感性だけで書き散らしていくと長生きはできないかな、という感じがしますね。
物書きなんてみんなある程度感性は持っていて、キラリとしたものはあるんですけど、大事なのはそこじゃないかもしれないっていう視点は持っておいた方がいい気がします。刀を作る時って、熱くなった鉄を水に浸けて冷やすことで強度を高めますよね。感性が光っている時っていうのは刀が熱く燃えている状態。だけど、それを収める鞘の方も大事なんじゃないかと」
――「鞘」というのが周りの環境を見る力ということでしょうか。
窪:「そうですね。感性だけあっても、次々やってくる締切に間に合わないとダメですし、打ち合わせなどもしないといけません。だから、ある程度のコミュニケーション能力は必要です。自分のやりたいことや、自分に求められていることについて、そんなに強く意識する必要はないですけど、長くやっていきたいのであれば、どこかでそういう目を持っていた方がいいんじゃないかと思いますね」
――才能がある人は、人がやっていない分野を上手に見つけるって言いますよね。
窪:「そういうのはきっと本能的なものですよね。本当に才能がある人は、どこに根を伸ばせるかっていうのを意識せずに探していると思います。単に文章がうまいとかではなくて、どこに根を張る場所を見出すか、自分が生きていける場所を見つけるということも含めて才能ではないでしょうか」
『アニバーサリー』は、しんどさの先にちょっとした光が見えてくる
――次に、読書についてお話を伺えればと思いますが、一番本を読んでいたのはいつ頃でしたか?
窪:「小学校の時かな。2週間に1度、市立図書館に近所の友達を誘って行って、借りられるだけ借りて、返して、また借りて、っていうのをやっていました」
――当時読んだ本で今でも好きなものはありますか。
窪:「小学校の図書室にあった『ぼくは12歳』っていう詩集は今でも好きです。飛び降り自殺してしまった男の子の詩集で有名な作品なんですけど、図書館の書棚で見つけた時から変なオーラがあったんですよね。
短い言葉で書かれた詩集なんですけど、世の中を変だな、おかしいなと思って拒絶している子どもの言葉がザクッと書いてあって、そういう言葉と出会ったのは初めてでした。当時読んでいた、例えば『赤毛のアン』シリーズのような作品とは違った、影を感じるもので、すごく心に引っ掛かりました」
――窪さんが人生で影響受けた本を3冊ほどご紹介いただければと思います。
窪:「衝撃を受けたのは、高校生の時に読んだ村上龍さんの『コインロッカー・ベイビーズ』です。それまでは、それこそ安岡章太郎さんとか井上ひさしさんとか、教科書に出てきそうなものしか読んでいなくて、それはそれで面白いんですけど、自分の生活と地続きではないという感じもしていました。
でも、村上龍さんとか村上春樹さんの作品からはすごく身近な空気感を感じたんです。特に『コインロッカー・ベイビーズ』にあるようなイメージの激しい羅列っていうのは、初めて読んだ時はびっくりしたのを覚えています。
もう一冊は、白石一文さんの『僕のなかの壊れていない部分』。さっきの話と関係するんですけど、35歳くらいの時に“なかなか地球は終わらないな”と思っていて、その時にふと“小説を書いた方がいいんじゃないか”と思ったんです。でも、自分に書く資格があるかとか、書くべきか、とか考えるじゃないですか。そんな時に白石さんの本を読んで、書いてもいいんだと思えたんです。
当時、母子関係や夫婦関係についてすごく考えていたんですけど、そういうことって考えてはいけないことなんじゃないかという罪悪感もあったんです。“子どもは健康だし、夫もいるんだから小説なんて書かなくてもいいんじゃないか”っていうことなんですけど、その本を読んで、自分がどうしても目を背けられない、気になるテーマが小説の題材になると分かって、やっぱり書くべきだなと思いました。
最後は、高校生の時に読んだ『女生徒』。最近読み返してやっぱりすごいなと思いました。女心というものをよくぞここまで、という。その中の『皮膚と心』っていう短編があって、奥さんが皮膚病を患ってしまうお話なんですけど、それが特に良かったです。16歳の時に読んですごいと思って、47歳で読んでもすごい作品ってなかなかないですよね 」
――ご自身の作品に一貫するものがあるとしたら、どのようなものだとお考えですか。
窪:「どの作品もそれぞれ悲惨な状況と言うか、つらい状況を書いていると思いますが、そんな中でも生きているうちは生きないと仕方ないということだけですね。
状況って変わっていくもので、死ぬ直前、最後の最後で楽しいことがあるかもしれないんですよ。いいことも悪いことも続きません。
“諦めるな”というとすごく嫌らしいですが、“明日起きたら、少しがんばってみようかな、と思えるかもしれないね”くらいのことは言いたいです。あまり大声では言いたくないですけど、読んでくださった方がそういうことを感じ取ってくれたらうれしいですね」
――最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いできればと思います。
窪:「『アニバーサリー』に関しては、読んでいてしんどいと言われるんですけど、そのしんどさの先にちょっとした、針の先くらいの光が見えてくると思います。なので、しんどさに耐えて(笑)、読んでいただけるとうれしいです。
地震のことも原発のことも日々移り変わっていますけども、“みんな不安定なんだ”っていう認識を持つだけでも安心することはあると思います。だから“声出して行こうぜ!”じゃないですけど、気持ちをあまり閉じ込めないで、分からない、とか、不安だ、ということを小さくてもいいので、声に出して言った方がいいですよ」
取材後記
作家というのは案外口下手な方が多いというのが、乏しい経験ながら実感としてあったのですが、窪さんは自身の作品についてだけでなく、創作や才能などあらゆることを整頓して話してくださいました(テープ起こしから記事にするまでの作業がこれまでで一番スムーズだったかもしれません)。
『アニバーサリー』はさまざまな時代や背景の中を生きる女性たちが描かれ、老若男女のめり込める一冊。それぞれの苦しさを越えて、小さな希望に至る彼女たちの姿をぜひ読んでみていただきたいと思います。
(インタビュー・記事/山田洋介)
著者プロフィール
窪美澄
1965(昭和40)年、東京都稲城市生まれ。カリタス女子中学高等学校卒業。短大を中退後、さまざまなアルバイトを経て、広告制作会社に勤務。その後フリーの編集ライターを経て、2009(平成21)年「ミクマリ」で女による女のためのR-18文学賞大賞を 受賞、デビュー。受賞作を所収した『ふがいない僕は空を見た』は本の雑誌が選ぶ2010年度ベスト10第1位、2011年本屋大賞第2位に選ばれる。また 2011年、同書で山本周五郎賞を受賞。2012年『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞を受賞。その他の著作に『クラウドクラスターを愛する方法』がある。
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