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きちんと休むことが、「高度な技術」であることを多くの人は知らないビジネス著者が語る、リーダーの仕事術(2/2 ページ)

「本当の休みをとる」とはどういうことなのか。疲れているのに、上手に休めない。その理由は何だろうか。

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 しかし、これらすべてのプロセスにおいて、非常に高いハードルが存在します。ハードルが高く、さらに高度な技術を要するにも関わらず、私も含めて、ほとんどの人は「休む」ことについて深く学ぶ機会がありません。よく分からないまま「テキトー」に休んでいるというのが現実かもしれません。

 まずは「休むこと」について、改めてとらえ直す必要があるでしょう。

一度、他人のニーズに応えたいという気持ちから離れてほしい

 「本当の休みをとる」とはどういうことなのか。

 結論からいうと、私は、「自らの『身体のニーズ』を把握し、それに応えることで自分自身とのつながりを取り戻し、心身が安全・安心を感じられる状態にすること」だと考えています。

 私はしばしば、心身の疲れが限界にまで達している人に、休職も含めた長期休暇が必要であることを伝えるのですが、多くの人は長期休暇をとったり休職したりすることに対しても、恐怖感や抵抗感、罪悪感を持っています。

 それも当然のことです。

 先に述べたように「期待に応えなければという思い」や「人の役に立たなければという思い」に加え、「レールから降りることの恐怖」があるからです。

 みなと同じように働いていること、与えられた役割をちゃんと果たしていることは「普通」のことであり、「普通」から逸脱しないでいられることが「安心」であり、それを守ることが「王道」の生き方であると信じている人はとても多いです。

 ですから、そこから降りてしまうことには、ものすごく大きな恐怖が伴います。もう2度と戻れないのではないか、社会に不適合であるというレッテルを貼られてしまうのではないか、という不安がわくのです。

 ある人は、休職をすることの苦しさを、「明確な目標やノルマもない、まったくの未経験の分野への部署異動」に例えていました。

 身の置き所がない感じや疎外感。先が見えない感じや、朝起きたときに、のどのあたりが固くつまり、胸のあたりがもやもやとして苦しい感じ。そうした不快感があると、人はどうするでしょうか。休みが必要なのに、強迫的に何かをしようとしてしまいます。

 その代表例が、「誰かの役に立とうとすること」です。そのため、休暇・休職中も仕事のことを考えたり、資格取得のための勉強を始めたりする人が少なくありません。どうしても「他者のニーズに応えること」から離れられない。

 それが「安心を得るため」の方法だからです。

 でも、それをしている限り、自分のニーズを見つけることは難しいでしょう。

 私たちが、いつまでも社会と関わりながら、前向きに健康に生きていくためには、ときには他者のニーズに応えすぎるのをやめ、自分のニーズを満たすことに時間やエネルギーを使う必要があります。

 それができて初めて、私たちは本当の意味で心身を休め、疲れや心の傷を癒すことができるからです。

著者プロフィール:鈴木裕介

内科医・心療内科医・産業医・公認心理師。

2008年高知大学卒。

内科医として高知県内の病院に勤務。研修医時代に経験した近親者の自死をきっかけに、メンタルヘルスに深く携わるようになる。一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズ株式会社に参画、コンサルタントとして経営視点から医療現場の環境改善に従事。

2018年、「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原saveクリニックを開院、院長に就任。

身体的な症状だけではなく、その背後にある種々の生きづらさ・トラウマを見据え、こころと身体をともに診る医療を心がけている。その実践で得た知見をより社会に活かすために起業し、企業のメンタルヘルス対策のコンサルティングや執筆・講演活動も積極的に行っている。

主な著書に17万部を突破した『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム刊)がある。

Twitter:@usksuzuki


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