東電の姿勢はよく理解できる:生き残れない経営(2/2 ページ)
経営者や企業人は正しい「マネジメント」を必死に学ぶべきだ。企業の社会における立ち位置の重要性を改めて強く認識し、実行すべきである。
「自己弁護」と「責任転嫁」
次は、大王製紙問題である(Asahi Judiciary 2011.12.2.より)。井川意高前会長が、取締役会に諮らず関連会社から巨額借り入れをした特別背任事件である。この事件そのものは議論するのもバカバカしい低レベルの内容だが、まず前会長の実父高雄前最高顧問は、'11年3月に息子が子会社から借金をしていることを知り、本人に注意をしたが使途はつかめなかった。しかし、報道で借入金をカジノで使っていたことを知り、貸し付けた子会社役員に背任行為になると指摘したという。この指摘で、会社側も問題を把握したと思ったという。しかし前会長は借金を続け、前顧問は問題が発覚する直前に知ったという。
こんなバカ気た話が、どこの世界にあるか。その辺の世間話ではあるまいし、「問題を把握したと思った」で済ませるとは、想像を絶する。「私は取締役でない」というが、痩せても枯れても当時は最高顧問、彼は責任回避だけを考えているのだろう。もう一つの問題は、社内の特別調査委員会と井川家との醜い責任のなすり合いだ。社内特別調査委員会は、本件原因について「井川父子の強い支配権」とした。一方、前顧問は本来責任追及されるべき経理担当役員と監査役が調査委員会メンバーに入っていておかしい、「最初からストーリーができていた」と強い不満を示す。確かに企業ガバナンスに問題を残すかもしれないが、責任のなすり合いは非生産的だ。ここにも、自己弁護と責任回避が強烈に渦巻いている。
さて、最近の3事件を取り上げてみたが、これらの底流にある経営の考え方と酷似した考え方にどこかで出会わなかったか。「自己弁護」と「責任転嫁」。そう、前掲の東京電力の事故調査報告の底流にあった考え方である。
東電問題をもう一度総括すると、放射性物質大量放出の原因や地震の影響などが解明されず、事故から1年以上経つのに多くの懸案事項が未解決である。一方で、「津波想定は結果的に甘さがあったと言わざるをえず」という表現は、甘さを認めていない証拠である。なぜ、「甘さがあった」と断言できないのか。醜い自己弁護、責任転嫁の典型である。
企業は社会があって初めて存在できるため、社会的責任を負うのは当然である。しかし、どの企業でも、どの経営者でも、誰でも、利益優先、自分の立場優先が、ホンネにあるはずである。ここで、そのことを是認しているわけではない。通常は、そのホンネを理性や常識が抑制する。しかし、逆境や危機に陥るとホンネが前面に出てきやすい。マネジメントを正しく理解しない者、心の弱い者が特にそうだ。企業とは、経営者とは、人間とはそういうものである。それでも普通の民間企業は、企業存続のためにホンネを隠そうとする。しかし、東電は独占だから存続を絶たれる心配がない。そのため、ホンネを隠さない。
そういうわけで、筆者には東電の姿勢を理解できるのである。
では、どうすべきか。ここで、ドラッカーの「企業の社会的責任」についての考え方の一部を紹介する。1つは、政府の社会問題を解決する能力への不信が強まったため、政府の手に負えない問題を政府以外、とりわけ企業に期待するようになったとする。しかし、そもそも政府と企業の機能は全く違うし、その義務も権利も全く異なるので、企業が政府の機能を代行できるわけがないし、すべきでもない。しかし今の日本の状況を見ると、ドラッカーの主張にもうなずける点がある。2つには、過去リーダー的存在だった貴族や聖職者たちが姿を消すか、無意味な存在になったため、企業のマネジメントが社会のリーダー的な階層としての地位を受け継ぎ、社会的責任に関わるようになったとする。しかし、企業がそこまで思い上がるべきではないと思うが、今の社会を見ると事実である面がある。
さて、以上からどうすべきかが見えてくる。
(1)経営者、企業人は、倫理観を養うべきである。あえて卑近な例を挙げると、公衆の場にゴミを捨てるな、人に迷惑をかけるなという道徳観は、素質に加えて幼い頃からのしつけやそのあと備えた良識によって磨きがかかる。企業人としての倫理観も同じようなもの、根は一緒だ。悲しいかなそれがない者は、今から努力して身につけるべきである。
(2)一方で、経営者、企業人は、正しい「マネジメント」を必死に学ぶべきだ。例えば、経営者、企業人は、ドラッカーの指摘する「企業の社会的責任」を、つまり、企業の社会における立ち位置の重要性を改めて強く認識し、実行すべきである。
(3)そんなアドバイスで、前掲例にある企業や東電が姿勢を正すとは思えない。では、強制力を働かすべきだ。法律で罰するなり、強制執行するなりすべきだ。政府の原発事故調査・検証委員会畑村委員長が、東電の最終報告について、「自分たちに全く落ち度がないというのはおかしい」と先日批判したというが、批判だけでは東電には全く通じまい。再提出を命じるべきだ。それができないなら、できるように法制度を改正すべきだ。
なお、東電の実質国有化が決まったが、本当はこの際経営陣を民間企業で厳しく経営経験している経営者と総入れ替えすべきだったが、せめて新設されるという経営改革本部に改革派の外部人材を入れて、正常な経営感覚の注入、発送電分離や地域独占解消などの電力改革、エネルギー政策の自由化などを積極推進すべきである。大株主である「国」の民意に沿った介入を期待するしかない。それを国民はチェックしなければならない。
著者プロフィール
増岡直二郎(ますおか なおじろう)
日立製作所、八木アンテナ、八木システムエンジニアリングを経て現在、「nao IT研究所」代表。
その間経営、事業企画、製造、情報システム、営業統括、保守などの部門を経験し、IT導入にも直接かかわってきた。執筆・講演・大学非常勤講師・企業指導などで活躍中。著書に「IT導入は企業を危うくする」(洋泉社)、「迫りくる受難時代を勝ち抜くSEの条件」(洋泉社)。
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