検索
ニュース

ダイバーシティの力海外ベストセラーに学ぶ、もう1つのビジネス視点(3/3 ページ)

1950年代に開業した時、マクドナルドはダイバーシティを全く持っていなかった。当時、レストランで働けるのは男性だけという規則があった。

Share
Tweet
LINE
Hatena
前のページへ |       

ダイバーシティへの扉を開く

 『業務上の必要性によって、クロックは雇用ポリシーを変えざるを得なくなりました。1960年代にマクドナルドのフランチャイズが急速に拡大したことを受け、オーナーやオペレーターたちは、新しい店舗にスタッフを配置しなければならなくなりました。しかし、この時期はちょうど米軍の徴兵が実施されたベトナム戦争の時期と重なりました。適任である若い男性が軍隊に入ってしまったため、フランチャイズ店舗にとって十分な数の男性従業員を見つけることが困難になりました。そのため、マクドナルドは自社の雇用の制約を解いたのです。まず、学校がある時間帯に仕事をする母親など、昼間に働ける女性を雇うことから始めました。そして、さらに女性従業員を雇用するようになったのです』

 マクドナルドの採用が女性に門戸を開いたのは、1960年代の急成長の時期でした。ちょうどベトナム戦争の時期であり、徴兵のため、これまでのような若い男性従業員を雇用することが不可能になったからでした。

 『マクドナルドは、1960年代後半に起った人種暴動の後、アフリカ系米国人女性の雇用を始めました。1967年までには、ワシントンD.Cにあるマクドナルドのフランチャイズ店は、黒人従業員を雇用する実績を上げました。これと同じころ、今では有名となったテレビの天気予報士であるウィラード・スコットが初めて演じた企業のマスコットのピエロ、ロナルド・マクドナルドが誕生しました。また、マクドナルドの売り上げが1680万ドルに達した時、管理者には店舗マネジャーおよび(エリア)スーパーバイザーから実力で出世して来た黒人従業員がいました。さらに、マクドナルドはその黒人管理者のうち数人を、企業幹部に昇進させました。また、当時、マイノリティーの地域に出店する事は企業にとって大きな課題でした。

 その理由の1つは、それには自分の店舗の運営に投資する、新しいフランチャイズ投資者が必要だったためです。投資者は、すぐに使える設備のために15億ドル用意する必要がありました。しかし、これは、黒人投資家の資力を超えた額でした。そこで、投資家とオペレーターの要求をすり抜けるために、企業はアフリカ系米国人企業家の市街地にある店舗に資金提供する「白人投資家」を手配しようと考えました。このアレンジは「zebra partnership(シマウマ・パートナーシップ)」と呼ばれました』

 1960年代後半にはマクドナルドは黒人従業員の採用を積極的に進めるようになりました。やがて、実力に応じて黒人の管理職者が登場し、そのうち数名は企業幹部にも昇進しました。またマイノリティー地域への出店を進めるために、zebrapartnershipも考案されました。


 エグゼクティブブックサマリーでの配信サービスのお申し込みにより、この記事の続きやそのほかの海外ベストセラーをご購読いただけます。

この本の詳細

  • 著者:パトリシア・ソーウェル・ハリスは、マクドナルド社のグローバル・チーフ・ダイバーシティ・オフィサーであり、同社に勤めて30年以上になります。WorkingWoman 誌の「ダイバーシティ・チャンピオン・トップ10」に選ばれました。
  • ページ数 192ページ
  • 出版社および発売日 Wiley(2009年9月 第1版)
  • 言語 英語
  • amazonへのリンクはこちらです。

プロフィール:鬼塚俊宏ストラテジィエレメント社長

鬼塚俊宏氏

経営コンサルタント(ビジネスモデルコンサルタント・セールスコピーライター)。経営コンサルタントとして、上場企業から個人プロフェッショナルまで、420社以上(1400案件以上)の企業経営を支援。特に集客モデルの構築とビジネスモデルプロデュースを得意とする。またセールスコピーライターという肩書も持ち、そのライティングスキルを生かしたマーケティング施策は、多くの企業を「高収益企業」へと変貌させてきた。


前のページへ |       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る