宿泊者ゼロからの復活
澤の屋旅館の成功の経緯は、これも極めて興味深い(SGUARE サイトより)。
澤の屋旅館は、下町情緒漂う上野の谷中に1949年に開業し、修学旅行生の受け入れで業績を伸ばしてきたが、1970年大阪万博を境に宿泊客は一気に減少し、1982年ついに宿泊者ゼロの日が3日間続いた。
館主の澤功氏はいよいよ廃業の瀬戸際に立たされた時、既に外国人客を受け入れていた旅館の主人に「外国人を泊めてみてはどうか」と助言された。しかし英語も話せず、設備も外国人には不向きな旅館に躊躇した。澤氏が、助言してくれた人が経営する「矢島旅館」を見に行くと、小規模旅館に外国人が溢れかえっていた。「これなら自分にもできるかも知れない」と、旅館「澤の屋」の外国人相手の新たな挑戦が始まった。
しかし、言葉と設備でさまざまなトラブルに見舞われた。「tonight」を「two night」に誤解されたり、共同風呂の栓を抜かれたり、和式トイレの金隠しの上に用を足されたり、生活習慣によるトラブルに悩まされた。澤氏はそれらのトラブルを一つ一つ解決していった。
澤の屋旅館の魅力は安さだけではなく、谷中や千駄ヶ谷界隈の下町ならではの風情に外国人客は魅力を持つようだ。また、澤氏は海外のB&Bホテル(Bed & Breakfast)が、「家族」を売り物にしていることに気付いた。パンフレットに家族の写真を掲載し、「わたしたちがおもてなしします」とアピールしているのだ。家族経営がセールスポイントになると思ってもみなかった澤氏は、やはり家族写真を掲載し、無理に生活感を消すことをやめた。
澤氏が、ドラッカー理論の「顧客は誰か」「どこにいるか」「何を買うか」の問いを忠実に実行し、そのあと執拗なイノベーションを実現したことには学ぶところが実に多い。
しかし、以上の筆者の解説も結果論の後付け理屈であるし、成功者の彼らは「開拓市場を切り替える」など小難しいことを考えて、新規事業への挑戦を始めたわけでもない。
成功に導く前付け理屈を、どう考えるべきか。それはもっともらしい理論でもなく、理路整然とした科学的手法でもなく、泥臭いところから着手して、道を開くことであると考える。
ネッツトヨタ南国の好例に、ヒントがある。従業員約100人、年商約40億円の新・中古車の販売業だが、同社高知本店の斬新な営業手法が、いつかTVで紹介されていた。
店頭に車を置かず、顧客の憩いの場としての広い喫茶室で、パンとコーヒー250円という安い食事を提供し、飲み物無料、常時満員だそうだ。訪問客の車番をすぐ店内へ送信、顧客が店内に入るや名前で話しかける。営業マンにノルマはなく、訪問先で売込みを一切しないで車の掃除をして帰る。売り上げは増えている。顧客情報もどんどん入るはずである。
経営方針が「従業員満足の追求」である。社員が仕事にやりがい、満足を感じない企業は存在価値がない、とまで言い切る。それでいながら、CS(Customer Satisfaction:顧客満足)はトヨタグループでNo.1である。「人間性尊重の精神に基づき、第一に従業員満足を追求する。そして、その従業員が求める私たちのあるべき姿として、お客様満足を追求し続ける」(同社ホームページより)。筆者の持論「CSを実践するなら、まずES(Employee satisfaction 従業員満足)ありきで、ESなくしてCSなし」。従業員が不満タラタラで、顧客のことを考えられる余裕がどこにあるか……ということを、まさに実践している。
さて以上の3つの例から、前付けの理屈について貴重なヒントを得ることができる。
マーケティングを実践するには、即ち顧客が誰で、どこにいるか、何を買うかを問うには、またイノベーションを徹底して起こすには、
(1)顧客に直接接触するという地道で血の通った不断の努力、顧客が情報提供したくなるような仕掛け作り、そしてイノベーションを起こそうとする執念を持つこと、
(2)さらに、ES(Employee Satisfaction 従業員満足)に取り組むこと、
である。それをキッカケにして、マーケティングとイノベーションの入り口に立つことができる。入り口に立てば、血の通った地道な努力と有効な仕掛けから入る豊富な顧客情報をもとに、アイディアを出し合い、厳しい議論を重ね、多くの選択肢の中から実行すべき前付けの手法を決定できる。当然、イノベーションのテーマも見つかる。その場合、豊富な情報を整理したり、アイディアを出したりする効率的な手法があれば、それに越したことはない。例えば、筆者はKJ法(情報整理をしながら、創造性を開発する手法)を使う。
イノベーションについては、ドラッカーも指摘するように技術だけの範囲ではないし、一部門だけの取り組みでもない。総合的に取り組まなければならない。トップが、自らイノベーションの必要性を学び、意識を改革し、全社にイノベーションの雰囲気を企業風土として植え付けなければならない。それがなければ、テーマが見つかっても無意味である。
以上から言えることは、「前付け理屈」などはいきなり存在しない。創り出すのだ。「前付け理屈」を創り出すための、キッカケこそが重要だということである。
著者プロフィール
増岡直二郎(ますおか なおじろう)
日立製作所、八木アンテナ、八木システムエンジニアリングを経て現在、「nao IT研究所」代表。
その間経営、事業企画、製造、情報システム、営業統括、保守などの部門を経験し、IT導入にも直接かかわってきた。執筆・講演・大学非常勤講師・企業指導などで活躍中。著書に「IT導入は企業を危うくする」(洋泉社)、「迫りくる受難時代を勝ち抜くSEの条件」(洋泉社)。
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