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インタビュー:緒川たまき 『サボテンの微笑み』タイムアウト東京のオススメ(1/2 ページ)

東京の街の“ローカルエキスパート”が、仕事の合間に一息つけるスポットやイベントを紹介します。

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Photo: Keisuke Tanigawa

 劇作家・演出家・音楽家のケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下、KERA)と俳優の緒川たまきさんが2020年に立ち上げた演劇ユニット「ケムリ研究室」が、第5回公演『サボテンの微笑み』を上演します。

 本作は、大正末期から昭和初期の劇作家・小説家である岸田國士が描いた兄妹の物語にインスピレーションを受けつつ、独自に展開する作品。妹役でもある緒川さんが語る、ユニットのこと、戯曲や役への思いに迫ります。


Photo: Keisuke Tanigawa

挑戦の場である「ケムリ研究室」

―ケムリ研究室としての作品は、今回が第5弾ですね。毎回、作品のテイストには異なるところもありますが、ユニットとして大事にしていることや共通するテーマはありますか?

 緒川:長い劇作家人生を歩んでいるKERAさんが、傍にいる私から見て、一人の観客としては好んでいるにもかかわらず、劇作家としては照れくさい、ガラではないと避けているようなジャンルやテイストがあります。そこで私が背中を押し、KERAさんはできるだけ素直に新しいことに挑戦してもらいながら、ある種のもがきや実験を含めて作品の魅力に組み込めたらというのが、2人にとってのケムリ研究室の存在意義なんです。

 1作目の『ベイジルタウンの女神』は、華やかな印象の立ち上げにしたくて、たくさんの素敵な方々に出ていただきました。KERAさんの得意な群像劇でありつつ、作り上げた幸福感を途中で裏切ることを好むKERAさんの傾向を封印して「あくまでもおとぎ話のようなハッピーなものにしよう」と2人で決めました。それを踏ん張って貫いた点が、実験と言えたかもしれません。

 2作目の『砂の女』は、少人数で男と女のディープな物語なのですが、ケムリ研究室を立ち上げる前から2人の間で何度も「安部公房の小説を舞台化してみたい」と話していたんです。考えれば考えるほど難題で尻込みしていたのですが、あえて「やる」と宣言しました。どうすれば自分たちの興味と作品の持っている魅力とを融合できるかを、2人の間ではもちろん、スタッフの方々にも随分相談に乗っていただいて。

 3作目の『眠くなっちゃった』は、運命というものが一人一人にあるとしたら、その個人の運命と、全体を巻き込んだ大きな運命とが攻めぎ合っているような世界を目指しました。私の中ではアリアが鳴り響く「死に向かっていくオペラ」のような世界観が浮かんでいて、“あらかじめ失われた物語”に取り組みたいという気持ちがありました。KERAさんにとっても、群像劇のスタイルにせず、主人公がいて、そこに人々が深く関わっていくという形でのディストピアものを作り込むことは挑戦だったと思います。とても悲しく痛みのある作品で、今思い出しても胸の奥がグーッとなる感じ。余韻が深く、貴重で素敵な体験でした。

 4本目は、『ベイジルタウンの女神』の初演がコロナ禍でのユニット立ちあげ作となり、悔しさもありましたので、さらにブラッシュアップして多くの人に観ていただきたいという思いから再演しました。

―そうやって一作一作、お二人なりの挑戦をなさったことで、劇作家としてのKERAさんや俳優としての緒川さんに変化は生まれましたか?

 どうなんでしょう。このユニットではKERAさんも公言している通り、私も一緒に脚本作りをしていて、違うなと思ったら遠慮せず「こう直しましょう、この後の会話はこんなふうにしませんか?」と提案をしています。ただ、回を重ねる中で、KERAさんも自分のガラではないと思うようなものにも、ケムリ研究室だからこそやってみようという姿勢に、より変わっていったのかもしれません。

 今回の『サボテンの微笑み』では、劇の"吸引力”を、出来事の展開からではなく、登場人物のごく小さな心の変化から作りたいというもくろみがあります。ある瞬間に登場人物のたたずまいが、日常から非日常的なものへと変わることに挑戦しているところです。

 KERAさんは「自分の癖で、笑わせる方向に持っていってしまう」と苦笑していますが、それもアクセントとして活かしつつ、今までとはまた違うところのある作劇を楽しんでいるという感じでしょうか。


Photo: Keisuke Tanigawa

岸田國士の戯曲に想を得た『サボテンの微笑み』

―KERAさんは、少し前のSNSに、『サボテンの微笑み』が岸田國士の戯曲『温室の前』の後日談になると書いていましたね。『温室の前』は、孤独な環境で一緒に暮らす兄と妹それぞれにときめきを覚える相手が現れるが……という話です。途中まででき上がっている『サボテンの微笑み』は、これと相似形をなす物語のように思われます。

兄妹のものを含めて名前は全て違いますが、兄妹の元を訪れる男女は同一人物なのでしょうか? それとも、違う人だけれども同じようなことが起きているということなのでしょうか?

 構想時には後日談もありかなとは話していたのですが、その方向はやめました。両親がもういなくて、どうやら働かなくても食べていけるだけの財産持ちであるらしい兄妹が2人で暮らし、引きこもりの傾向があるらしい――というベースは一緒で、別の物語としてとらえていただければ、と。

―なるほど。『温室の前』には、ロシアの劇作家アントン・チェーホフ(Anton Chekhov)の戯曲のような雰囲気がありますね。兄妹が何もできないところなど、モスクワに憧れながらも行くことができない『三人姉妹』のようですし。

 そうなんですよ。シーンによってはですが、短いせりふの掛け合いではなく、一人がたくさんしゃべって次の人もたくさんしゃべって、という台本の在り方も似ています。また人物としても、彼らには満たされないところがありつつ、本当に生活に追われているのとは違う優雅さや、だからこんなことに悩めるんだという貴族のようなところもあって。

―そしてだからこそ、思い切って外に出ることができず同じ場所をぐるぐると回っているという感じですよね。この『温室の前』とはまた違う要素も、『サボテンの微笑み』には入るのでしょうか?

 演出家としてのKERAさんが、稽古開始時とは好む方向性が少々変わってきているように感じます。

 当初は飄々としてほのぼのとした、でも甘さよりも「しょっぱさ」が胸に残るような雰囲気を志向していたのですが、今はどちらかというと兄妹のグロテスクさを探る方向にかじを切っている印象があって。最終的にどういうさじ加減になるのかは、まだ分かりませんけれども。

―なるほど。ほかに家族もおらず兄妹2人で暮らしているとなると、夫婦のような役割分担になっていたり相互依存がすごかったりしそうですね。

 まだ"ホン”もない稽古開始前のビジュアル撮影の頃、兄役の赤堀雅秋さんが「兄だけれども、妹に叱られる感じなんだろうな」とおっしゃっていたんです。確かに異性の兄妹というと、どちらかがどちらかをサポートしたりおもんぱかって身を引いたりといった関係性を思い描きがちですよね。

 そういう作品も素敵だなとは思うのですが、この兄妹に関しては、干渉し合い過ぎてお互いの足を引っ張っているようなところがある。もちろん愛が強いからなのですが、相手に対する愛情を隠さず、当たり前であるかのようにそれが繰り広げられるところが、一歩引いて見るとグロテスクだという印象につながるといいなと思っています。

―実際、この兄妹のもとにどんな女性、男性が来ても絶対にうまくいかないのだろうと思ってしまいます。仮に、見かけ上は結ばれるとしても。

 おっしゃる通りです(笑)。ですからこの作品に感じていただける魅力というのは、うまくいきそうなものがうまくいかないハラハラ感ではなく、うまくいかなさそうなものに対して当人たちが舞い上がっているところ。そんな兄妹が気の毒に映るかもしれないし、もしかしたらかわいらしく見えるかもしれないし、そこにどれだけ独自の味わいが出せるかが課題ですね。


Photo: Keisuke Tanigawa

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