官のずさんな情報管理が日本をだめにする:藤田正美の「まるごとオブザーバー」(2/2 ページ)
原子力災害対策本部の会議の公式議事録が作成されていなかった。それだけではない。東電に設置された統合対策本部の公式議事録もないのだそうだ。これで物事が決められるのだろうか?
記録がなくては話は進まない
会社の会議などでも役員会議事録などは作成されて、参加者が了承した印を押す。しかし日常的な会議ではどうか。少なくとも僕のわずかな経験では議事録が作成されたことはなかったと記憶する。そこで何が決まったのか、どういう議論を経て決まったのか、どのような資料が出されてそれについてどのような議論があったのか。それはいつも記憶に頼らなければならなかった。記憶があいまいだと話が前に進まない。
しかしこれはちっぽけな会社の話で、しかも経営がどのようにまずかろうと、世の中にさして影響を与えることはない。これが「公権力」ということになると俄然、話が変わってくる。第一、公権力は国民や住民の税金に基づいて運営されている。税金の使い道を決めるのであるから、納税者に対して自分たちの意思決定がそれなりの議論を経て決められたものであることを説明しなければならない。
説明の仕方がまずければ、納税者は納得しない(事業仕分けのときに、説明者側が自分たちの事業の正当性をきちんと説明できないように驚いた人も多いだろう)。納税者が納得しなければ、選挙を通じてさまざまな手直しが行われることになる。それが民主主義だ。ただし断っておかなければならないが、納税者がいつも正しい判断を下すわけではないのも事実である。
こうした繰り返しによって社会は進歩あるいは改善していく。しかし前回の議論を記録した議事録がなければ、次の議論の出発点はまた何も経験がないときまで戻ってしまうかもしれない。それはあまりにも効率が悪い。
情報と整理と保管は、どのような組織であれ、その組織を運営するには欠かせないものである。ツナミで基礎自治体の資料が流されてはじめて、バックアップがどれほど重要かを行政当局は思い知ったはずだ。そして行政にとって情報を国民や住民と共有することこそが、行政を効率的かつ円滑に動かす基礎であることを再認識したはずだ。
野田内閣が増税一直線に走るなかで、公権力が正当かつ効率的に運営されていることを自ら立証できなければ、国民は増税に納得しないのである。それは単に、国会議員の数を減らすとか、役人の給料を引き下げるとかいう問題に矮小化させてはならない。
いかに情報を共有化し、いかにそれを利用して旧来の仕事を効率化し、新しいビジネスにつなげていくか。この問題をうまくやった組織は勝ち残るだろうし、うまくやれなかった組織はやがて消えるだろう。しかし、行政組織はうまくやらなくても消えない。そこが民と官の違いだ。だからこそ官は納税者への説明義務を負うのである。
著者プロフィール
藤田正美(ふじた まさよし)
『ニューズウィーク日本版』元編集長。1948年東京生まれ。東京大学経済学部卒業後、『週刊東洋経済』の記者・編集者として14年間の経験を積む。85年に「よりグローバルな視点」を求めて『ニューズウィーク日本版』創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年同誌編集長。2001年〜2004年3月同誌編集主幹。インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテータとして出演。2004年4月からはフリーランスとして現在に至る。
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