ASEANキャッシュレス決済がもたらす機会と脅威:飛躍(5/5 ページ)
ASEANのデジタライゼーションは先進国が歩んできた段階的なものではなく、リープフロッグとして一足飛びの変化を見せている。
リアル店舗の決済も抑えたキャッシュレス決済プレイヤーのPB は、ECサイトのPBよりも影響力を持ち得ると考えられる。ECサイトよりも圧倒的に消費規模の大きいリアル店舗での購買データを抑え、そこから得られた消費者情報を元にしたPBであるからだ。事実、この動きは中国では始まっており、テンセントはWeChat Payによる対面決済データを元に「京造」というPBで商品企画を行っている。アリババも「ニューマニュファクチュア(新しい製造業)」という構想を掲げているが、分かりやすい言い方をすればAlipayによる膨大な消費者購買情報を用いたPB展開である。
ASEANにおいても中国のアリババ、テンセント、もしくはローカルのGrabなりが今後圧倒的なシェアを築いてASEAN消費者の購買情報を抑えたとしよう。日本の消費財がASEANで持つ大きなシェアが、これら新たなPBによって受けるダメージは決して小さくないだろう。
2、3 伝統的小売への流通拡大
繰り返しにはなるが、Eコマースが伸長しているとはいえ金額ベースで見るとまだまだリアル店舗での購買が9割以上を占める。特にASEANにおいては、いわゆる露店やパパママショップといわれる伝統的小売が重要なチャネルであり続けていることは間違いない。図表6はASEAN諸国の伝統的小売の割合だが、多くの国で小売市場全体の30%程度以上を占めている。少しずつ大型ショッピングモールやEコマースに置き換わっているとはいえ、まだまだローカルの零細商店が消費者にとって重要な位置付けを担っているのだ。
これら伝統的小売にはこれまではさまざまな問題もあり、日系の商品を流通させることは簡単ではなかった。代表的なところで言えば、たとえ商品を卸したとしても代金を回収できないという与信上の問題があった。しかし、伝統的小売にもキャッシュレス決済システムが普及していけば少なくとも小売販売が実行されたものについては一定の代金回収を可能にできる。
ベトナムやフィリピンは伝統的小売の割合が50%、同国内でも地域差はあるとはいえインドネシアでは60%に至る。この巨大なリアルチャネルで流れている商品はローカルメーカーのものであったり、場合によっては商店によるハンドメイドだ。ここに高い品質と合理化された生産プロセスで価格を抑えた日系消費財メーカーの商品が入る余地は実は高いはずである。
2、4 ASEANでのキャッシュレス決済の実証実験
最後にキャッシュレス決済の実証実験の場としてASEANをうまく活用していくことを提案する。これは日系消費財メーカー単体に向けた提言というよりは、日本の商社や現地の財閥等も含めたコンソーシアムが検討していくような内容かもしれない。
ご存じの通り、日本のキャッシュレス決済は世界的に見ても遅れている。平成の終わりにかけてから、さまざまなプレイヤーがキャッシュレス決済のフィールドで覇権を握るべく積極的な取り組みを見せている。しかし、一部では不祥事と呼ばれる事態も発生しており、消費者にとって安心して使える環境になるにはまだ時間がかかるというのが一般的な見方だ。浸透に向けた群雄割拠という意味では、ASEANも同じ状況ではあるものの、残念ながら日本よりもASEANの方が先へ進んでいるというのが現実である。
しかし、この状況をラーニング・オポチュニティーと捉えて、日系プレイヤーがASEANのキャッシュレス決済ステージに今入っていくことは、日本での展開に示唆を得るという意味でも有効だと考えられる。キャッシュレス決済先進国である中国は既に先を行っているうえに、ジャイアントが一気に面を取ったという点でも少し特殊だ。だが、ASEANにおけるプレイヤーの乱立ぶりは日本が歩もうとしている道に近いといえる。
もちろん、キャッシュレス決済は小売や金融、消費財等、あらゆる産業が複雑に絡み合って成り立たせる領域であるゆえ、日系企業が単独で今から殴り込むのは難しい。だが、現地のキャッシュレス決済プレイヤーへのアライアンス(場合によっては出資も含む)を組むことで、共に戦い、そこから学びを得られる可能性は十分にあると考えられる。
ASEANでの中国人旅行者を足掛かりにアリババ、テンセントが攻勢をかけることになぞらえると、ASEANの日本人駐在者、ASEANへの日本人旅行者はASEANキャッシュレス決済プレイヤーにとっても軽視すべきではない一つのマーケットになりつつあるはずだ。このあたりをくすぐりながら日系企業がASEANキャッシュレス決済プレイヤーに近づいていける可能性は十分にあるのではないだろうか。
3、おわりに
今回、ASEANのキャッシュレス決済を軸に本稿を執筆した。その中でも触れたが、実はアリババ、テンセントといった中国のジャイアントがASEANのコンシューマー・デジタライゼーションを塗り替えるかどうかについては非常に大きな論点である。この点の考察はまた別の機会に譲りたいが、Alipay(アリババ)やWeChat Pay(テンセント)が中国で作ったデジタル経済圏は、ASEANのGrabやGo-Jekが作ろうとしている世界観とは現時点では少し異なる。
信用スコアを付帯することで、消費者の金融面まで捉えた経済圏を作ろうとする中国ジャイアントのもくろみは壮大である。消費と金融の両面を電子的に抑えることの意義の強さは想像に難くないはずだ。そして、その実現を後押しする中国政府も一帯一路でASEANとの結び付きを強めている。具体的には、タイの政府や財閥との緊密化が進みつつある点は日系企業にとって最も気になるところだろう。タイをハブとして、特にメコン周辺国での展開を拡げるというもくろみがあるとも聞かれる。
また、ASEANの各国毎の差異についても日系企業が検討すべき事柄は多岐にわたる。いずれにしても、ASEANのコンシューマー・デジタライゼーションは決済を基軸にして変わろうとしている。日系企業がここまで築いてきたものをさらに拡大させることができるか、もしくは別のプレイヤーに侵食されてしまうかはこの潮目をうまく捉えられるかにかかっている。
著者プロフィール
下村健一(SHIMOMURA, Kenichi)
一橋大学社会学部卒業後、米国系コンサルティングファーム等を経てローランド・ベルガーに参画。アパレル、外食、製菓、リラクゼーションなどの消費財やサービス、並びに自動車を中心に幅広いクライアントにおいて、海外事業戦略、M&A 戦略、長期ビジョンなどの立案・実行を数多く支援。また、上記業界において、PEファンドに対するデューデリジェンスや投資後バリューアップの支援経験も豊富。
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