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店ざらしになる「国会事故調報告書」藤田正美の「まるごとオブザーバー」(2/2 ページ)

「そんなことはありえない」と言っているうちは将来にわたるシナリオを描ことはできない。

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そんなことはありえない

 「そんなことはありえない」という言葉は、多くの専門家が口にする。例えば1994年1月、アメリカのロサンゼルスで大地震が起きた。そして高速道路が倒壊した。それを視察に行った土木の専門家たちは「こんなことは日本では起こり得ない」と語った。そのちょうど1年後、神戸を襲った大地震で高速道路はいとも簡単に倒壊したのである。そして慌てた道路当局は、首都高の橋脚に鉄板を巻くという緊急工事を行った。中国の「新幹線」が事故を起こしたときも、鉄道の専門家は「日本では起こり得ない事故」と評した。幸いにして同じような事故は起きていないが、それでも「絶対安全」とはなかなか言い切れないのが普通である。

 今回の福島第一原発事故に関しては、原子力安全委員会の斑目委員長が、二度、この「ありえない」ということを明言している。一度目は、事故前に国会で「全電源喪失」について問われ、電源はすぐに復旧するのでそんなことを考慮する必要はないという主旨の国会答弁を行った。そして全電源喪失によって原子炉の冷却が止まり、原子炉がメルトダウンを起こした。二度目は、水素爆発である。「そんなことはありえない」と菅首相に助言して間もなく、水素爆発によって原子炉建屋が吹き飛んだ。

 専門家として能力があったかどうかはあえて問うまい。それでも科学者として「そんなことはありえない」と軽々しく口にしたことの責任は重い。ついでに言えば、二度の間違いに懲りた斑目委員長は、原子炉への海水注入に伴う際臨界の可能性を問われ、菅首相に「可能性は排除できない」と答えた。この結果、菅首相の疑問に答えるために、海水注入をめぐって現場と本店の間でやり取りがあり、予定よりも時間がかかった。

 可能性がゼロということと、可能性が限りなく小さいということの間には、明確な線がある。ゼロでなければえ起こり得るということだ。飛行機が墜落する可能性は小さいが、われわれは事故のリスクを受け入れて利用している。自動車でも事故は起きる。だからといって、自動車の利用をしないという人はいない。リスクを受け入れている。

 原発の問題は、リスクがゼロであると言わなければ原発を受け入れてもらえなかったというところにある。だから安全神話が必要だった。地元住民も安全神話を信じた(少なくともそういう人が多数を占めた)。そして国会事故調でも明らかになったように、実は専門家(例えば原子力ムラの人々)もこの安全神話を信じ、規制当局(原子力安全・保安院)も同様に信じていたことである。

 起こり得るシナリオを可能性の大きさとは関係なく描くこと。常にプランAの他にプランBを用意すること。これがさまざまな局面で必要なことだと思う。国の政策はもちろん、企業経営も同じことだ。

 外交でも同じようなことが言える。2009年、民主党が政権を取り、鳩山首相が誕生したとき、「東アジア共同体」「対等な日米関係」「(普天間基地移転は)最低でも県外」と言った。この3つのキーワードがやがて、ロシア大統領の北方領土訪問、韓国大統領の竹島上陸、そして尖閣諸島への中国の圧力という形で実を結んでくると鳩山首相は想像していたであろうか。少なくとも現在の言動を聞いている限り、そんなシナリオを考えついたとはとても思えないのである。

著者プロフィール

藤田正美(ふじた まさよし)

『ニューズウィーク日本版』元編集長。1948年東京生まれ。東京大学経済学部卒業後、『週刊東洋経済』の記者・編集者として14年間の経験を積む。85年に「よりグローバルな視点」を求めて『ニューズウィーク日本版』創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年同誌編集長。2001年〜2004年3月同誌編集主幹。インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテータとして出演。2004年4月からはフリーランスとして現在に至る。


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