エネルギーの将来戦略をどう描くのかは、なかなか難しい問題である。資源がほとんどない国だから、安全保障のためには「自前のエネルギー」が欲しい。それが原子力だった。もちろん燃料のウランは輸入に頼るが、輸入相手は政治が安定した先進国である。それに再処理をすれば燃料を食い延ばすことも可能になる。そうした目論見の下に、疑似自前エネルギーという位置づけで原子力関連施設をつくってきた。
それが福島第一原発事故ですっかり狂ってしまった。原発に対する不安が高まり、既存原発の下に活断層があるという指摘も数多く出ている。新たな原子力規制組織のトップも、国会の同意を得ることもできぬままに「見切り発車」しなければならなかった。
さらに政府は2030年代に原発ゼロを目指すと大見得を切ったのもつかの間、産業界やアメリカから批判を浴びて、事実上、その「戦略」を引っ込めてしまった。消費税引き上げではあれほど頑張ったのに、原子力に関して言えば腰砕けである。
選挙が近いということもあるだろう。「原子力ゼロ政策」で産業界からそっぽを向かれてしまっては、衆院選での惨敗は必至だ。場合によっては民主党そのものが完全に空中分解してしまいかねない。
野田政権が、関西電力大飯原発の再稼働を決めたとき、ある電力関係者はこう言った。「再稼働を決めたプロセスを見ていると、結局、野田首相は原子力に興味がないのだろう」
世界でも最悪に近い原子力事故を起こした国の指導者が、原発に興味がないなどということはあってはならないはずだ。しかしその後の成り行きを見ていると、やはり首相自身がリーダーシップを発揮してこの問題を仕切るという感じはない。「ゼロ宣言」にしても、それは国民の意思だと首相は語っている。言葉を換えれば、「わたしが決めたのではない」と言っているようにも聞こえる。
こうしたボタンの掛け違いは、そもそもゼロ目標を掲げたところにある。段階的に減らして行くということは、あくまでも原発は稼働させるということだ。もちろん安全性に疑問があれば稼働させてはならない(そのあたりの判断は新しい既成組織の役割である)としても、そこがクリアされれば再稼働させなければおかしい。
再稼働をし、時間をかけながら新しいエネルギーの将来像を探っていくしかない。急激にエネルギーを取り巻く環境を変えると、日本の全体でとんでもない燃料費がかかる。原発事故の直後は緊急措置として高い燃料費を受け入れることができても、長期的となればそうも行くまい。しかも注意しておかなければならないのは今現在は円高だから、これがもし円安に振れれば、ダブルパンチを食らうことになりかねない。そのコスト増を価格にかぶせれば、企業にとっては日本から生産設備を移転させるもう一つの理由になる。
それは輸出額の減少につながり、輸入額の増加と相まって、貿易収支の赤字拡大につながってくる。昨年は32年ぶりの貿易赤字になった。この赤字が固定化し、そして拡大すると日本の国債が売られやすい状況が生まれてくる。そうなったら、日本は大不況に陥るだろう。最も防がなければならない問題がここにある。経済的に落ち込んできたら、原子力のリスクよりもはるかに大きい社会的損失が生まれる可能性があるからだ。
原発を稼働させるリスクと、日本の経済のリスクをどう秤量し、どう判断するか。そして国民にそれを説得するかが政治家の役割だと思うが、選挙の票を意識して現在の政権は右往左往しているという印象を拭いきれない。もちろん自民党政権に代わったとしても、そこですぐこのエネルギー戦略ができるとは思えないが、生煮えの議論を繰り返す民主党よりはましかもしれない。
そして誰が政権を取っても、原発を止めても止めなくても、高レベル放射性廃棄物の処分という問題は、重くのしかかってくる。
著者プロフィール
藤田正美(ふじた まさよし)
『ニューズウィーク日本版』元編集長。1948年東京生まれ。東京大学経済学部卒業後、『週刊東洋経済』の記者・編集者として14年間の経験を積む。85年に「よりグローバルな視点」を求めて『ニューズウィーク日本版』創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年同誌編集長。2001年〜2004年3月同誌編集主幹。インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテータとして出演。2004年4月からはフリーランスとして現在に至る。
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