投稿カンニングやメールなどに関する皮相的な識者意見に絶望する:生き残れない経営(2/2 ページ)
多くの識者やジャーナリズムは「不正再発防止」、あるいは「情報教育の問題」として捉えている。果たしてそんな皮相的な捉え方で、問題は解決するのだろうか。
さて、本論のメールについてである。
1月23日付け朝日新聞記事「仕事メールで好印象」での「仕事メール」についての指摘は、件名や送信者名の手抜き、クレーム対応をメールで済ませようとする気遣いのなさ、不用意なccメール・転送メール、相手のことを考えない開封確認メール、読みにくい長文メール、絵文字などについての注意だ。しかし、ビジネスメールにしろ私的メールにしろ、日頃の業務や日常生活の中で安易に使われすぎて、最も根本的で重要なことが置き去りにされている。そこのところを指摘し、ユーザーに考えさせることこそが必要であって、それによってメールの実務的なことも自ずと解決するはずである。
その辺の議論が欠落すると、ITについての判断や対処の仕方を誤る。たかがメールであるが、ビジネス上も私的にもこれほど普及して情報手段のメジャーの位置を占めたからには、実務的議論で終始せず、メールのあり方を根本から見直しておかなければならない。
(1)まずメールより何よりも前に、始めに「直接コミュニケーション」と「手書き文章」ありきと考えるべきである。こつぜんとメール単独で存在するのではなく、「直接コミュニケーション」と「手書き文章」という礎の上にあるべきだ。
例えば、前々回の記事「心のない情報は組織を破壊する」でも指摘したように、重要な人事異動について、しかも近くの座席にいる部下にメール1本で通達を出すという、想像もできないことが平然と行われている。メールやパソコン上のデータだけでは、人情の機微や感情などを捨象されてしまうことに気付き、あくまでも直接コミュニケーションをメーンと位置付け、メールをその補助手段として捉えなければならない。
また書家石川九楊は、パソコンのキーボードによるインプットに疑問を呈する(「文学界」2000年2月号)。「雨が降る」と書こうとしたとき、文字変換で「飴」や「振る」が出てくると、思考の滑らかな流れが妨げられる。「思念は広がり、思考はせり上がろうとする。ところが、機械は次々と同音異義の奇怪な文や文字を画面に映し出す。ここで、せり上がろうとする思考とその無自覚の意識は、遂には、疲労困憊状態に陥り、白熱を欠いた、平板な思考に流れ」るとする。一方、アメリカの古典学者でマクルーハンにも多大な影響を与えたとされるセントルイス大学名誉教授ウオルター・J・オングは、「どんな発明にもまして、文字は人間の意識をつくりかえてしまった」とし、文字文化によって精神の深さが生まれたとしている(W.J.オング著、桜井直文他訳「声の文化と文字の文化」藤原書店)。
私たちは、「直接コミュニケーション」と「手書き文章」の重要性を再認識しなければならない。そして、それを前提にメールの位置付けをすべきだ。
(2)次に、メールといえども、あるいはメールであるが故に、機械的に扱うのでなく、常に心を込めるよう努めなければならない。「ビジネスメールの本質は、"思いやり"にあり。相手への配慮を忘れるな。」は、言い得て妙だ(平野友朗・他著「ビジネスメールの常識・非常識」日経BP社)。手紙を書くときは、それなりの心構えを持って机に向かい、書き出すはずである。あらかじめ構想を練り、相手の気持ちをおもんぱかり、修正の利かない墨やインクであるがゆえに緊張を強いられつつ、ある程度の覚悟を持って、心を入れて書くものである。一方メールだからと、緊張感を欠くことが許されていいはずはない。
受け取ったメールを不快に感じた人は、65%以上もいる。しかし不快に感じた人のうち65%以上が、それを相手に指摘したことがない。相手を不快にしていることを、当人は殆ど気づいていないということだ。不快に感じた内容は、1位が「言葉遣い」(42.0%)、2位が「内容が分かりにくい」(41.6%)、3位が「開封確認要求」(27.6%)となっている(上掲書、アイ・コミュニケーション実施「ビジネスメール実態調査2010」)。まさに、コミュニケーションや文章の力、そしてマナーの基本が訓練されていない現れであろう。
メールを単なる連絡手段として捉えるのではなく、人間関係構築のための有効な手段の1つとして捉えて利用するように心がければ、自ずから心がこもるはずだ。
(3)さらに、メールを単なる便利な連絡手段と考えず、情報を得る手段・与える手段という位置付けで考えるべきである。便利さと言い、スピードと言い、取り扱える情報量と言い、とても手紙に比すべくもない。送信側・受信側両者にとってできるだけ有用と考えられる情報を与えよう、あるいはできるだけ価値ある情報を得ようとすれば、メールを有効活用しようという気持ちになり、メールに対して軽々しく無礼な姿勢で臨めない。メールを尊重する認識が出てくる。
(4)ここで初めて、冒頭の朝日新聞記事や前掲書「ビジネスメールの常識・非常識」などで取り上げられている、メールの実務的基本を守れという主張がテーマとして取り上げられる順序になるべきなのだ。上記(1)(2)(3)をしっかりと認識していれば、実務的基本は自ずと守られるはずだ。
著者プロフィール
増岡直二郎(ますおか なおじろう)
日立製作所、八木アンテナ、八木システムエンジニアリングを経て現在、「nao IT研究所」代表。その間経営、事業企画、製造、情報システム、営業統括、保守などの部門を経験し、IT導入にも直接かかわってきた。執筆・講演・大学非常勤講師・企業指導などで活躍中。著書に「IT導入は企業を危うくする」(洋泉社)、「迫りくる受難時代を勝ち抜くSEの条件」(洋泉社)。
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