【第20回】ホンダの経営戦略を支えた藤沢武夫ミドルが経営を変える(2/2 ページ)

» 2009年05月12日 07時45分 公開
[吉村典久(和歌山大学),ITmedia]
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「他人のふんどし」で勝負はしない

 例えば、二輪車の米国進出が興味深い。1959年(昭和34年)7月にホンダは、ロサンゼルスに現地法人を立ち上げ輸出を開始する。他社も輸出を始めていたが、商社などを介する形での輸出だった。藤沢の言葉を借りれば、ホンダは「他人のふんどし」(89ページ)ではなく「自分のふんどし」で米国市場に挑戦した。創業から10年も経ていないころのことだ。

 当時の米国は「二輪車の売れない国で1年に6万台くらいの消費しかない」(86ページ)市場であり、しかも「オートバイを乗りまわすのは、ブラック・ジャケットの暴れ者といった状態」(89ページ)だった。市場調査では、多数のライバルメーカーがあるとはいえ、年間300万台の二輪車が売れていた欧州が輸出先として適当と判断された。藤沢の腹心の部下は、欧州のライバルメーカーに比べて地理的に優位であり、需要拡大も容易である東南アジアに進出すべしとも進言してきた。しかし藤沢が選択したのは、いばらの道と思われた米国市場だった。

 東南アジアでまず成功を収め、米国に進出するというシナリオもあり得たが、米国市場に直接乗り込む決定を下した。なぜか。さらに技術研究所の独立、重役の大部屋制、次世代のリーダー育成、宗一郎の引退のシナリオ……。町工場だったホンダを、宗一郎の口癖だった「世界一の車屋」にまで育て上げた藤沢。さまざまな意思決定を、どういう判断で行ったのか。

「バカな」戦略こそが成功の鍵

 経営戦略論の名著とされる本に、吉原英樹著『「バカな」と「なるほど」―経営成功のキメ手!』(同文舘出版)がある。この本のタイトルは、優れた戦略が持つ特徴を端的に示すものとなっている。同業他社や顧客からも「バカな」戦略とやゆされるほど、他社と違った戦略、よくよく考えると「なるほど」と思わせる戦略、事前の合理性は立たないが(多くの場合、「バカな」とやゆされる商品などが市場投入され、成果が上がった段階になって)周りが事後的にその合理性に気付くような戦略。こうした戦略が優れた戦略であると同書は説いている。

 藤沢の本を読むと、自分のつくった松明を掲げて世界有数の自動車メーカーとなったホンダの裏側には、こうした「バカな」、「なるほど」が必ず存在していたことが分かる。ミドルの方々は、経営学の生きた教科書として一読することをお薦めする。経営は「総合芸術」であると言われる。それが分かるはずだ。


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プロフィール

吉村典久(よしむら のりひさ)

和歌山大学経済学部教授

1968年奈良県生まれ。学習院大学経済学部卒。神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了。03年から04年Cass Business School, City University London客員研究員。博士(経営学)。現在、和歌山大学経済学部教授。専攻は経営戦略論、企業統治論。著作に『部長の経営学』(ちくま新書)、『日本の企業統治−神話と実態』(NTT出版)、『日本的経営の変革―持続する強みと問題点』(監訳、有斐閣)、「発言メカニズムをつうじた経営者への牽制」(同論文にて2000年、若手研究者向け経営倫理に関する懸賞論文・奨励賞受賞、日本経営倫理学会主催)など。



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