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» 2013年02月15日 08時00分 UPDATE

ITmedia エグゼクティブ勉強会リポート:記録により何を残すか――「継続するということ」を東大寺1300年の歴史に学ぶ (1/2)

企業の寿命は30年といわれているが、昨今では10年説も出てきている。継続することは多くの困難を伴うが不可能ではない。東大寺は、大きな危機、困難を経験しながらも乗り越え現在まで続いている。そこに秘伝はあるのか。

[山下竜大,ITmedia]

 アイティメディアが開催している「ITmediaエグゼクティブ勉強会」に華厳宗大本山東大寺清凉院住職である森本公穣師が登壇。聖武天皇が発布した「盧舎那仏造顕(大仏造立)の詔」に記された内容や3月に二月堂で開催される修二会に基づいて、「継続するということ――東大寺1300年の歴史に学ぶ」と題した講演を行った。

1301188.jpg 華厳宗大本山東大寺清凉院住職の森本公穣師

 ピーター・ドラッカーの著書「非営利組織の経営」日本語版には「いまも機能している最古の非営利機関は、日本にある。奈良の古寺がそれである。創立の当初からそれらの寺は、非政府の存在であり自治の存在だった。もちろん、企業でもなかった」という序章がある。東大寺は、まさにドラッカーのいう、いまも機能している最古の組織そのものといえる。

 「奈良の大仏」として親しまれている「盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)」を本尊とする東大寺は、743年(天平15年)に聖武天皇が盧舎那大仏造立の勅願を発布し、日本のみならず世界の、そして動物、植物にいたる全ての生き物が平和で栄えることを願って造営された。その一部始終は、「盧舎那仏造顕(大仏造立)の詔」に記されており、いまなお東大寺に受け継がれている。

 森本氏は、「盧舎那仏造顕(大仏造立)の詔は、企業でいえば経営理念にあたるものであり、当時なぜあれだけ大きな仏像を造ろうと考えたのかということが明確に記してある。この詔の中の言葉や1300年にわたり東大寺に伝わる行事から、“継続するということ”を紹介することで、企業経営のヒントになるものが伝えられれば……」と語る。

奈良時代の人口の半分が参加した大仏造立

 盧舎那仏造顕(大仏造立)の詔にはこのような言葉が記されている。

(1)“動植 咸く(ことごとく)栄えむとす”

(2)“國の銅(あかがね)を尽くして象(かたち)を鎔かし”

(3)“同じく利益(りやく)を蒙りて(こうむりて)共に菩提を致さしめむ”

(4)“事成り易く心至りがたし”

(5)“一枝の草一把(ひとにぎり)の土(ひじ)を持ちて”


 (1)の動植とは「動物も植物も」という意味であり、人間も含めてすべての生き物が繁栄する状態を、みんなで目指すために大仏を造るということを表している。また(2)では、日本中のすべての銅を使ってでも仏を造る。(3)には特定の誰かが利益を受けるのではなく、全ての人が等しく恩恵を受けることを目指していたことが記されている。

 さらに(4)では、天皇がその財力や権力を使えば大仏を造ることは容易だが、それでは心のこもった大仏を造ることはできない。(5)では強制的に造らせるのではなく、一枝の草や一握りの土のようにわずかな作業でも構わないので、ひとりでも多くの民に自主的に参加してほしいという願いが込められている。

 この聖武天皇が発布した「盧舎那仏造顕(大仏造立)の詔」により、約260万人が大仏造立に参加。752年4月9日に「大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)」が盛大に執りおこなわれたという記録が残されている。聖武天皇の思いが伝わり、国民参加の事業となったことがうかがえるエピソードである。

 「奈良時代の日本の人口が約600万人であったことを考えると、実に当時の日本の人口の半分が何らかの形で大仏造立に携わったことになる。人口の半数が携わったということは、その方々は正にいまの日本人の直接の先祖でもある。現在でも大きな法要は、当時の記録をもとに、その開眼供養会を再現する形で執りおこなわれている」(森本氏)

困難を乗り越えて継続を選ぶ

 その後何度か大きな困難に見舞われるが、1度目は平安の末に平清盛の息子である重衡の軍勢により、大仏殿をはじめ伽藍の大半が焼失し大仏も溶けてしまった。復興をおこなった重源上人は既に高齢でありながら、61歳から86歳まで大仏と東大寺の復興を生涯掛けて行なった。南大門は重源上人が再建したもので、当時の中国から最先端の技術を取り入れて建築したものである

daibutsu.jpg 東大寺盧舎那大仏

 2度目は戦国時代、三好・松永の乱によって焼かれ、これを復興したのは江戸時代の公慶上人である。13歳で僧侶となった公慶上人は、風雨にさらされ、銅版を張った仮の顔が付いている悲惨な状態の大仏を見て復興を決心した。37歳の時に13歳で決めた大仏修復と大仏殿の復興を宣言し、資金、人、資材を集め実行に移した。

 「現存する資料に公慶上人が托鉢をした軌跡が記されている、京都の地図がある。訪ねた場所を赤く記してあるが京都の街の全ての道筋が赤く塗りつぶされている。寄付の額は今の金額にすると200円から300円だが、続けることで膨大な資金を調達した。」(森本氏)

 今でも大仏殿の屋根を支えている太い梁があるが、これは近畿地方には太い木が既になかったため、全国を探し回り宮崎県から運んできた。当時の苦労は計り知れない。大仏殿の裏にうっそうと木が生えている場所がある。これは自らが大木を探すのに大層苦労したため、同じ苦労を次の時代の人にはさせたくないと公慶上人が植えたものだ。300年経ちそれらの木は立派な大木に育っている。

 公慶上人は大仏の完成は見られたが、大仏殿の完成を見届けることなく58歳で死去した。13歳で決心した通り、多くの人を巻き込んで大仏と大仏殿の復興を成し遂げた。今われわれが訪れている大仏殿はこの時、公慶上人によって再建されたものである。

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