「ユーザー視点」を追求してたどり着いたITの基盤と組織の改革「等身大のCIO」ガートナー重富俊二の企業訪問記(1/2 ページ)

他社との差別化を図る攻めのビジネスは、いつでも新たな事業にチャレンジできるような合理的で柔軟な情報システムが支えている。生まれ変わった、ミサワホームのIT部門が目指す、情報システムの姿とは。

» 2013年06月05日 08時00分 公開
[聞き手:重富俊二(ガートナー ジャパン)、文:大井明子,ITmedia]

 創立45周年を迎えた大手住宅メーカーのミサワホーム。2011年に大幅な衣替えをした「新生」情報システム部のトップに立つのが、初のユーザー部門出身部長となる宮本眞一氏だ。企画管理本部 情報システム部長として、会計や人事、SCMなどの基幹系業務のクラウド移行を進める等、次々とIT改革の手を打ち出すとともに、兼務する業務改革推進プロジェクトにてグループ内の間接業務のシェアードサービス化を推進する。宮本氏が思い描く、これからの情報システム像を聞いた。

付加価値を生み出せない情報システム部は生き残れない

 ――宮本さんは2011年に「新生」情報システム部の部長に就任された。それまではずっとユーザー部門に在籍していた。

ミサワホーム 情報システム部長 兼 業務改革推進部 業務改革推進プロジェクト 宮本眞一氏

 もともとは2010年に始まった「システム整備プロジェクト」がきっかけ。バブル崩壊後の業績悪化により2000年代にはIT投資が凍結されていた影響で、基幹系システムが一斉に更新時期を迎え、システム全体の再構築が緊急課題となっていた。新たなITの方向性を検討するため、システム側とユーザー側の両部門からメンバーが召集されたが、そのプロジェクトのリーダーに任命されたのが宮本氏だった。

 半年間のプロジェクト活動の成果として、グループ企業のIT一元化、スクラッチ開発からパッケージへの転換、クラウド活用等、新たなIT方針を経営層へ上程し、了承された。一連のリストラの中で当時のシステム部門は経営企画部の下の一組織となっていたが、再び部として独立することとなり、初代部長に就任することになった。

 新しい情報システム部は、ユーザー部門や販売会社からも人を集めた混成チームで、ユーザー視点の強化を狙っている。ユーザー部門が独自にコンシューマーITやクラウドを活用できるようになった今、ビジネス上の付加価値を生み出せる部門になれないと、システム部門は必要とされないという強い危機感をもっているからだ。

 ――就任以来、業務のシェアードサービス化やクラウドの積極的な活用など、大胆な改革を次々進めている。

 ミサワホームグループは本社と全国20数社の販売会社からなる。全国に直販体制をひく同業他社に比べると、地域密着のメリットはあるものの、会社の数だけ人事や経理などの間接社員は多くなりがちで、システムも各社バラバラだった。現在、間接業務のシェアードサービス化に向けて、グループ各社のシステム一元化に取り組んでいる。

 各社の人事システムをクラウド環境で稼働している本社システムに統合し、人事給与業務はシェアードサービス化する。実際のオペレーションは中国にBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)している。連結人員1万人中、現在4000人まで移行済みで、今後1年半で完了する計画だ。また、今年8月には本社の会計システムもクラウド化し、来年度には販売会社のシステムも統合する。

 コアビジネスに関しては当社ならではの差別化が必要だが、人事や経理、資材発注などのシステムはできるだけパッケージを活用し、クラウド上で稼働するようにしたい。

標準化の重要性を実感したCADセンターのBPOプロジェクト

 ――宮本さんは、今まで一貫してユーザー部門を歩んできていて、住宅以外のビジネスの経験もありユニークな経歴を持っている。

 新卒で1984年にミサワホームグループの不動産情報会社に入社。ミサワVANという子会社で新規事業を立ち上げるというので、自ら手を挙げて1987年に移った。当時のミサワホームでは住宅建築の工程ロス削減のため、気象情報を日本気象協会からオンラインで入手していたが、その情報を一般向けに小売りするというアイデアが生まれ、これを事業化することが目的だった。

プリペイドカード

 利用者にはプリペイドカードを購入してもらい、そこに記載された暗証番号を使って希望する地域の気象情報が電話で聞ける仕組み。量販店やデパートなどに営業してまわったが、気象情報だけでは売れないと言われ、後から占いや伝言サービスも商品ラインアップに加えた。気象情報を売れと言ったのに何をやっているんだと叱られたが、おかげでコンビニの棚にも並べることができ、月間2万枚を売るほどになった。その後、個人にも携帯電話が普及し始めたことから、情報カードの市場性は先細りと判断し、1994年に事業収束となった。

 ――その後、CADセンターに移った。

 CADセンターには、以前の上司に誘われて1994年に移り、その後2010年まで16年間在籍した。

 当時の住宅メーカーとしては先進的なシステムで、販売会社の作成した意匠データを元に構造計算や積算、資材発注、工場への生産指示など一気通貫でサポートしていた。しかし、販売会社にはそれぞれ懇意にしていた外注業者があり、CADセンターへの依頼には消極的で、なかなか利用が広がらない。そのため販売会社への営業担当として、設計や生産部門出身ではない私に白羽の矢が立った。

 ――どう進めたか?

 単に外注業者と同じ業務範囲だけを競っても販売会社側のメリットは薄い。前後の業務プロセス、新商品発売時の事前対応、データの保存形態等、トータルでユーザーの業務プロセスが合理化できるというパッケージを考えて、提案していった。

 こうしたやり方が功を奏して活用してもらえるようになり、管理するCADオペレーターも当初の20人足らずから400人超にまで増えた。

 ――そうなってくると営業活動よりも運営が大変になる。

 その通りだ。営業から人員採用と運営に業務のウエイトがシフトし、次に大所帯を管理するためのシステム作りに携わり、ついには人件費削減のため中国へのオフショアBPOにたどり着いた。

 ――今でこそ中国のBPOは当たり前だが、当時は珍しかったのではないか。

 当時もデータエントリーなどの事例はあったが、CADセンターのような高度なスキルが要求され、研修期間も長い業務は少なかった。しかし現地に行ってみたところ、中国東北地方の大連は反日感情も低く、日本語が堪能な人材も豊富。マニュアルも日本語のまま使えるということで、何とかやれそうな感触を持った。

 ――軌道に乗るまでにどれくらいの時間がかかったのか?

 2005年に試行運用を始め、翌2006年に本格稼働したが、軌道に乗るまで3、4年かかった。最初の苦労は、意外にも日本で使っていたマニュアルの精度に起因していた。

 中国で作業すると、なぜか日本でやった場合と結果が違う。マニュアルをよく見ると、そもそも記述が間違っていたり、どうとでもとれる曖昧な記述だったりするところが見つかった。誰が読んでも正確なオペレーションができるよう、マニュアルの記述を修正し、オペレーションの標準化を進めたことで、やっと軌道に乗った。その後は中国で作ったマニュアルを日本で審査する方法を採用することで、さらに曖昧さを減らしていった。

 現在では総作業量の70%超を中国で処理するまでになっている。

 ――確かに、オフショア活用の失敗例を聞くと、日本側の"暗黙の了解"に基づいた仕事の進め方に起因することが多いと聞く。こうした経験で、日本側の意識は変わったか?

 組織としては大きく変わったと思う。個人では、変われた人とそうでない人がいる。「マニュアルで標準化しすぎると、創意工夫が殺されてしまう」と言う人もいた。しかしマニュアルで規定されたことは、その通りにやるべき。創意工夫は、マニュアル作りのほうで発揮するものだ。

 今、進めている全社的なシステム改革でも、当時CADセンターで言っていたのとまったく同じ話をしている。

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