ユーザーからのリクエストが集まる情報システム部門へ「等身大のCIO」ガートナー重富俊二の企業訪問記(1/2 ページ)

1960年の会社設立以来、アミューズメントマシンメーカーとして事業を拡大し、1983年からは家庭用ゲーム機市場へも参入したセガ。テクノロジーを使ったゲームの開発を事業の中核とするセガにとっての情報システム部門のあり方とは。

» 2014年01月31日 08時00分 公開
[聞き手:重富俊二(ガートナー ジャパン)、文:山下竜大,ITmedia]

 「史上初」となる先進的な数々の製品を生みだしてきたコンテンツ開発力と技術応用力をコアコンピタンスに、世界有数のソフトウェア資産を持つゲームメーカーとして、世界的に高く評価されているセガ。コンソールゲーム&ネットワークゲーム、アーケードゲーム、アミューズメントセンターの3つの主力事業により市場をリードしている。

 ITの進化により、人と人、企業と顧客が容易につながることができる現在、より一層顧客の声を聞き、理解することの重要性について、IT部門ではまだ珍しい女性の部長であるセガ コーポレート本部 情報システム部 部長、草島智咲氏に話を聞いた。

営業職からスタートしたセガでのキャリア

 ――まずは、これまでのキャリアについてお聞きしたい。

セガ コーポレート本部 情報システム部 部長、草島智咲氏

 中学校から大学まで10年間ずっと女子だけの学校だったため、男女差というものを感じることなく社会に出た。学生時代には、百貨店の販売系のアルバイトをしたり、家庭教師をしたりと人と接する仕事をしていた。人とコミュニケーションすることが好きなので、1988年にセガに就職したときには営業職を希望した。

 セガの営業職は、AM(アミューズメント)施設の店舗運営である。当時のセガは、大卒女子を採用し始めたばかりで、それほど多くの大卒女子の社員はいなかった。そのため女性社員の活用方法も確立されておらず、商品調達の事務を任されていた。

 当初はシステム担当ではなかったが、社内にはITを活用しようという気運もあり、全社的なITプロジェクトにユーザー部門の代表として参加した。この経験によりITに興味を持ち、1991年に情報システム部門への異動願いを出したが、この時点では却下された。

 ――なぜシステム部門に異動したいと思ったのか。

 AM施設の店舗運営では、ゲームの景品を仕入れて店舗に配るのが主な業務だが、仕入はほかの担当者が行っていたので、私自身は景品を店舗に配るだけの仕事だった。ITに関しては、ユーザーとして毎日伝票の処理を行っていた。さらにITを使っているうちに、使うより作る方に興味が出た。特に1991年当時は、まだ1人1台のPC環境ではなかったので、今後やれることが非常に多い気もした。1992年に結婚し、これを機に情報システム部門に異動した。

 正確な数は覚えてないが、当時は日本全国にかなりの数のAM施設があり、さらに拡大している時期だった。そこで、まずは店舗に1台のPC環境を実現したり、手書きの伝票類をIT化したりするなどに取り組んだ。

 ――ITに関する知識は、会社に入って習得したのか。

 特別にITの知識の習得のための勉強はしておらず、日常業務の中で習得していった。当時のPCはDOSベースで、フロッピーディスクからの起動やコピー&ペースト、デリートなどの基本的な操作方法を知って入れば大丈夫だった。日本全国の店舗にPCを導入して回った仕事は、いろいろな地域の人とも会え楽しかった。

 その後、ある店舗の店舗システムを構築することになり、データベースと開発ツールの勉強をしてシステム構築を経験した。本社の会計システムに引き継ぐ売上データを作成するための伝票システムだ。お客様の伝票のバーコードを読み込んで、売上をレジに計上し、レジからPCにデータを取り込み、PCから伝票が出力されるレジシステムを担当した。いま考えると、よくレジシステムを構築できたと思う。

 次に各店舗にネットワークを構築し、景品管理と売り上げ管理、アルバイト管理の仕組みを構築する全社プロジェクトに参加した。このプロジェクトでは、AM機器管理・景品管理システムの要件定義からプログラミングを依頼する外部のベンダーとのやり取りまで、プロジェクトリーダーとして担当した。

 このシステムは、1996年にリリースされ、5〜6年稼働していた。担当したAM機器管理のシステムは、あまり品質が良くなく、夜間バッチが朝になっても終了しない状況だった。このとき、人にプログラムを作ってもらうのはたいへんな作業だと感じた。

「ダイバーシティ」という言葉が不要なのがセガという会社

 ――情報システム部門に移ってやったことは。

 2000年に、セガ本体からAM施設事業が分社化することになり、分社後の基幹システム構築に参加した。基幹システムは、AM危機管理・景品管理と売り上げ管理、アルバイト管理の仕組みに加え、会計システムも構築しなければならなかった。この基幹システム構築プロジェクトのプロジェクトマネジャーを担当した。

 難しかったのは、日本全国のAM施設を5つのグループ会社に分割して、5社分の基幹システムを構築しなければならなかったことだ。基幹システムとして仕様は1つだが、各社トップの考え方が違うので、少しずつ仕様がずれてくる。この「ズレ」をいかに調整するかが大きなポイントだった。

 当時は課長職で、直属の部下2人と百数十名のベンダー担当者でシステムを構築した。初めての基幹システム構築プロジェクトであり、知らないことばかりだった。いま考えると、よく会社が私に任せたと思う。この基幹システムは、2000年より構築を開始し、2001年にリリース、現在も稼働している。

 この時期はとても充実していて、やりたいことができた時代だった。小さな部門で、事業方針も明確、やるべきことを自分の考えで推進することができた。例えば、日本全国に店舗があるのに近くにIT担当者がいないのは不便である。そこで日本全国の5つのグループ企業にITの専任者を配置した。

 その後、分社化されたAM施設事業部が再びセガ本社に吸収合併され、2007年にセガの情報システム部に異動した。会社の方針として各事業部にシステム担当部門を持つのではなく、全社で統一した情報システム部門を持つべきという方針になった。現在は、20人程度のメンバーで、情報システム全般をサポートしている。

       1|2 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ITmedia エグゼクティブのご案内

「ITmedia エグゼクティブは、上場企業および上場相当企業の課長職以上を対象とした無料の会員制サービスを中心に、経営者やリーダー層向けにさまざまな情報を発信しています。
入会いただくとメールマガジンの購読、経営に役立つ旬なテーマで開催しているセミナー、勉強会にも参加いただけます。
ぜひこの機会にお申し込みください。
入会希望の方は必要事項を記入の上申請ください。審査の上登録させていただきます。
【入会条件】上場企業および上場相当企業の課長職以上

アドバイザリーボード

根来龍之

早稲田大学商学学術院教授

根来龍之

小尾敏夫

早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授

小尾敏夫

郡山史郎

株式会社CEAFOM 代表取締役社長

郡山史郎

西野弘

株式会社プロシード 代表取締役

西野弘

森田正隆

明治学院大学 経済学部准教授

森田正隆