西野 私が小林さんに初めてお会いしたのは、90年代半ば、ちょうど米国駐在から帰国された頃でしたね。既に情報産業部門の現場責任者の立場にいらっしゃいましたが、その後10年のITの大きな“うねり”をどうみられていますか。
小林 86年から8年弱、米国にいてインターネットの興隆を目の当たりにしていましたから、日本も動き出すな、という予感はありました。96年に伊藤忠インターネットというEC(電子商取引)の会社をつくったんです。だけど、仕事は何もない。とりあえず酒でも売れと、ある展示会で全国の地酒のデモ販売をやったら、翌日、食料部門の販売チャネルから非難轟々、「なんてことするんだ」と――。社内でも怒られましてね、これは諦めました。
西野 その頃の伊藤忠は厳しい時期だったんですね。
小林 そう。不良資産の整理でしんどかった時です。リストラの連続で社内に閉塞感もありましたしねぇ。それでも、米国からは新しいビジネスモデルの情報がどんどん入って来る。
西野 新規投資の成功事例として、オンライン証券への進出はどういう経緯だったのですか。
小林 カブドットコム証券ね。97年頃、手を挙げた部下が5人いたんです。しかし、これも大変だった。社内の金融部門は文句をいうし、米国で提携先を探しても「お前のところの財務体質で大丈夫か」と相手にされない。仕方ないから、自分で1から始めようとを固めて、部下5人に証券アナリスト、フィナンシャルアドバイザーの資格を取れ、と命じたんです。彼らが頑張ってくれました。それにしても人がいない。困っている時に出会ったのが斉藤(正勝)さんですよ。
西野 斉藤さん? カブドットコム証券の社長の・・・・・・。まだ若い方ですよね。
小林 当時はやっと30を出たぐらい。246沿線(表参道・渋谷などの繁華街)で遊んでいるような若者でしたよ。鼻っ柱が強くて生意気で、なんだこいつ、という印象でしたが、オンライン証券のビジョンをもっている。「ウチにおいで」となり、彼が「仲間が7人いるから、一緒でいいなら・・・・・・」と言うので、とりあえず3カ月採用したんです。採ってみたら、みんなプロでした。斉藤さんとのがなければ、昨年のカブドットコム証券の株式上場もなかったと思います。
西野 なるほど。まさにインキュベートされたわけですね。これはその後、小林さんが立ち上げた「ネットの森」の先駆けですね。つまり、ECを事業化するタスクフォースを制度化され、自ら“森の番人”に任じられた。その発想は何だったのでしょう。
小林 00年に「ネットの森」を立ち上げた時、僕は情報産業部門の部門長でした。社内には僕と同じ30人の部門長がいた。縦割り組織になっていて、僕からほかの29の部門にはアクセスできない。しかも、1つの事業を興すとなると、さっき言ったような部門間の軋轢があって、ややこしい手続きを経なければならない。これを、ECという切り口で横串を刺すポジションが必要だと思ったんです。社内には閉塞感があって、ネットをやりたくても、くすぶっている若手社員が大勢いた。彼らに、新しい伊藤忠つくろうじゃないか、と働きかけたんです。
西野 つまり、風通しをよくして、意思決定を早くした・・・・・・。
小林 もう即断即決です。大企業の決済のプロセスは稟議書を回して、判子を10個ぐらい捺すんですよ。ネット案件については僕の1個でいい。その代わり責任もとらされますが・・・・・・。98年頃からECへの投資は始まっていて、ピークには伊藤忠本体の案件だけで100件、投資ファンド経由を含めると500件近いリストがありました。それを毎日みて、あれをやれ、これをやれ、と指示する。可哀想に下の者はうろうろしてしまうけど、成功した時の喜びも大きい。
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早稲田大学商学学術院教授
早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授
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明治学院大学 経済学部准教授