素晴らしいビジョンが絵に描いた餅で終わる、笛吹けど踊らずという状態に陥る事態はしばしば見受けられる。どのように形を与えればいいのか。
「U理論」とはマサチューセッツ工科大学 スローン校 経営学部上級講師であるC・オットー・シャーマー博士が提唱している過去の延長線ではない、全く新しい可能性の未来を創発するイノベーションの理論です。
「U理論」ではイノベーションをもたらすプロセスを「行動の源(ソース)を転換するプロセス」「出現する未来を迎え入れるプロセス」「その出現する未来を具現化、実体化するプロセス」のという3つに大別しています。さらに、その3つのプロセスを7つのステップに詳細化しています。7つのステップの概要は第2回目のコラムにて詳しく紹介していますのでそちらを参照してください。
今回は、いよいよ「その出現する未来を具現化、実体化するプロセス」である5番目のステップ「結晶化(Crystallizing)」を紹介します。
結晶化とは、あまりなじみのない言葉ですが、U理論の中でオットー博士はこのプロセスを以下のように解説しています。
「結晶化するとは、未来の最高の可能性からビジョンと意図を明らかにすることだ。結晶化は一般的にビジョンを描くというときのプロセスとは異なる。結晶化は知と自己のより深い場から起こるが、ビジョン化はどこからでも、ダウンローディングの場からでも起こり得る。(中略)集団では、静寂の瞬間が訪れ、プレゼンシングが起きると、アイデンティティーが微妙にシフトし、協力して行動を起こすための今までとは異なる基盤ができたことが分かる。ここまでは、未来の可能性を感じるだけだった。プレゼンシングを経験すれば、個人や集団でこの可能性を現実のものにする準備は整う。“そうせずにはいられない”のだ。この旅の第一歩はビジョンと意図をさらに明確に結晶化することである。創出したいことを具体的な言葉で表現するのだ。」
抽象的な表現が多いために、ピンとこない方も多いかもしれませんが、この文面が伝えようとしている重要なポイントは、結晶化というプロセスが、プレゼンシング無しには存在しえないことや、いわゆる一般的なビジョン策定プロセスとは異なるということにあります。
ビジネススクールの教科書に載ってもおかしくないくらい素晴らしいビジョンであるにも関わらず、絵に描いた餅になってしまったり、笛吹けど踊らずという状態に陥ってしまったりするという事態はよく見受けられます。これは、U理論の観点でいえば、プレゼンシングのプロセスを経ていないビジョンであるために生じているといえます。
前回のプレゼンシングで、伏見工業高校ラグビー部を全国優勝へと導いたターニングポイントを紹介しました。
監督である山口良治さんに反発し、まったく聞く耳をもたなかった不良高校生の部員たちが、花園高校に大敗を喫するところから生まれ変わるプレゼンシングのエピソードでしたが、そのプロセスを経ることなく、山口さんが「俺は、元オール・ジャパンの選手だ!俺がお前たちを全国優勝させてやる!」とビジョンを打ち上げたところで、部員は誰もついてこないばかりか、余計に反発するか、しらけて終わってしまうことは容易に想像がつきます。
このエピソードからも、従来のビジョンという言葉では言い表せていない領域が存在していることがうかがえるとともに、結晶化というプロセスが何かしらの可能性を秘めているのではないかという期待を抱かせてくれます。
ここからは、結晶化のプロセスをより詳細に紹介します。
プレゼンシングに至るための重要なアクセスが「手放す(Letting Go)」なのに対して、結晶化を実現するためのアクセスは「迎え入れる(Letting Come)」となります。
この“Letting Come”という言葉は、翻訳の際にどのように訳すのか非常に悩みました。当初、わたしは「訪れる」という訳を当てていたのですが、それは、プレゼンシングの状態になり、源(ソース)とつながった時に、おのずから現れ出るもののように感じられたからです。
しかし、先ほどのオットー博士の解説の通り、プレゼンシングは個人や集団でこの可能性を現実のものにする準備が整った状態であるのに対して、その第一歩がビジョンと意図をさらに明確にし、言葉にすることだと分かった時“Letting”が示す「させてやる」というセンスが理解でき、「迎え入れる」という訳を当てました。
つまり、プレゼンシングの状態になった時に、自分という器を通して「現れたがっている」未来に形を与える作業が結晶化のプロセスといえます。では、その「現れたがっている」未来にどのように形を与えればよいのでしょうか?
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早稲田大学商学学術院教授
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明治学院大学 経済学部准教授