ハイブリッド戦争は日本にとっても他人ごとではない――慶應義塾大学 廣瀬陽子教授ITmedia エグゼクティブセミナーリポート(1/2 ページ)

2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、まさにハイブリッド戦争である。その脅威は日本人にとっても他人ごとではない。ハイブリッド戦争は、どのように世界の脅威になっているのか、いかに対応するべきなのか。

» 2022年10月18日 07時07分 公開
[山下竜大ITmedia]

 アイティメディアが主催するライブ配信セミナー「ITmedia Security Week 2022 Autumn コロナ禍と新冷戦でサイバー攻撃も激化『新常態』でもブレないサイバーセキュリティ対策の基本」のDay1 基調講演に、慶應義塾大学 総合政策学部 教授の廣瀬陽子氏が登場。「ハイブリッド戦争から見る不安定な世界の脅威」をテーマに講演した。

ハイブリッド戦争は日本にとっても他人ごとではない

慶應義塾大学 総合政策学部 教授 廣瀬陽子氏

 近年、戦争の形態が大きく変化している。「ハイブリッド戦争」という言葉を耳にする機会が増えてきたが、特に注目されたのは、2014年のクリミア併合・ウクライナ東部の危機である。そのため欧州諸国では、ロシアのハイブリッド戦争を脅威と感じているが、国によってその感覚にはかなりの差がある。

 廣瀬氏は、「長年、旧ソ連地域を研究していますが、2014年に限らずロシアはこれまでもハイブリッド戦争的な手法を使ってきたことに気が付き、ハイブリッド戦争に興味を持ちました。現在、北大西洋条約機構(NATO)や欧州諸国は、一丸となってハイブリッド戦争に立ち向かうための協力体制を構築しています。このハイブリッド戦争は、日本にとっても他人ごとではありません」と話す。

 日本では、2018年12月に「防衛計画の大綱」が改訂された。通常、防衛計画の大綱は10年に1度改訂されるが、今回5年に1度の改定となった。改定が早まった理由は、北朝鮮が核兵器の能力を顕著に増強させたこと、ロシアのクリミア併合以後、戦い方が変わり「ハイブリッド戦争」の脅威が高まったことの2つ。またサイバー攻撃も、日本にハイブリッド戦争の脅威を意識させた。例えば「東京2020大会」では、関連のサイトに4億5000万回のサイバー攻撃があり、水際で阻止したことがのちに明らかになった。

 さらに日本の安全保障問題の主軸として、「経済安全保障」が重要になっている。その一環として岸田新政権では、経済安全保障担当大臣が新設されている。ハイブリッド戦争の脅威を理解し、対策を講じていくことが安全保障対策にとって不可欠だ。それでは、ハイブリッド戦争とはどのようなものなのか。

現代型戦争としてのハイブリッド戦争

 ハイブリッド戦争とは、政治的目的を達成するために、政治、経済、外交、サイバー攻撃、プロパガンダを含む情報・心理戦のほか、テロや犯罪行為など、軍事的脅迫とそれ以外のさまざまな手段、つまり非正規戦と正規戦を組み合わせた戦争の手法である。2014年のロシアによるクリミア併合で話題になったが、古代から使われたという説もあり、特に新しい手法ではない。ロシアでも、1990年代から議論されてきた。

 ハイブリッド戦争に関する認識・理解は多様で、画一的な定義はほぼ不可能だ。戦う主体の多様性とその方法の多様性の両者によって特徴づけられる複合型の戦争ともいえる。世界で最も大きい軍事共同体であるNATOでも、ハイブリッド戦争の定義はできないとしている。

ハイブリッド戦争は非常に多様な概念。見る方向で見え方がまったく違う。

 ロシアにおいては、ハイブリッド戦争は欧米が仕掛けているもので、ロシアは被害者だという位置付けである。ロシアにおけるハイブリッド戦争は、それ自体が戦略ではなく作戦の1つ。クリミア併合を経て、軍事コンセプトからロシアの外交政策の理論に準じるものに変わっている。ロシアのハイブリッド戦争の主軸となっているといわれているのが、いわゆる「ゲラシモフ・ドクトリン」である(実際は、その前後に多くの優れた文献が出ている)。

 ゲラシモフ・ドクトリンとは、ロシア軍のバレリー・ゲラシモフ参謀総長が『軍産新報』誌の2013年2月27日号に掲載した論文に基づくもの。実態は講演内容の起こしで、ドクトリンといえる代物ではなく、西側の現代の戦争を描写しただけで、内容も新しいものではない。要点は、以下の通りである。

 ・21世紀の戦争のルールは大幅に変更され、政治的、戦略的目標の達成のためには、非軍事的手段は、特定の場合には軍事力行使と比較してはるかに有効。

 ・21世紀に入り戦争と平時の境界線がぼやける傾向がある。もはや宣戦布告はなされず、戦争というものは気づいたときには始まっていて、よく分からない様式で進む。

 ・「アラブの春」は戦争ではないため、軍人にとっての教訓がないことは明白だが、その逆も真であり、これらの出来事こそが21世紀の戦争の典型的なスタイル。

 ・現代の戦争では総合的かつ多くの側面からのアプローチが必要。非軍事的手段として重要なのは、政治、情報、心理操作や反対派の利用や経済的影響力の行使。

 「ロシアでは、ハイブリッド戦争が国家戦略にもなっています。2014年12月に改定された新軍事ドクトリンでは、ハイブリッド戦争の内容が色濃く反映されています。しかし新軍事ドクトリンの草案は、ウクライナ危機の前の2013年7月に提出されているということは、ウクライナ危機でのハイブリッドな作戦は既定路線でした」(廣瀬氏)

 ハイブリッド戦争のメリットは、低コストで、効果が大きく、介入に関して言い逃れができること。正規軍を動かすには莫大な費用がかかるが、民間軍事会社(PMC)に置き換えると極めて低コスト。サイバー攻撃やプロパガンダ作戦などもコストがかからない。低コストのわりに相手にかなりのダメージを与えられ、威嚇効果も大きく、国際的な影響力も高い。さらに目立たず、証拠が残りづらく、責任の所在をうやむやにしやすい。

 「ロシアがコストにこだわるのは軍事支出にあります。ロシアの軍事支出は世界第5位ですが、支出額を見ると米国の8%強にすぎません。それにもかかわらず、核大国として米国と肩を並べるためにはハイブリッド戦争の手法で低コストに抑えることは重要です。ロシアには、火のないところを炎上させる能力はありませんが、小さな煙を炎上させることに長けており、ハイブリッド戦争は極めて有益になります」(廣瀬氏)

サイバー攻撃の内容は目的や相手によって変化

 サイバー攻撃は、実戦を避けつつ、相手に打撃を与えられる重要手段であり、ハイブリッド戦争の主軸となっている。ロシアのサイバー攻撃者は、犯罪者、国家が目的・意図をもって行うもの、愛国者、民間の会社など。2020年のコロナ禍においても、英米などの政府、ワクチン関係、東京2020大会関係などへの攻撃が明らかになっている。

 「ロシアのサイバー攻撃は、国家支援型が多く、高いスキルを持っています。ネットワークの侵入からPCやデバイスの乗っ取り、システムダウンまでを約18分で実現します。ただし防衛力が弱いので、サイバー総合力では第2ランクです。技術の多くは中国から学習しており、2015年5月に相互にサイバー攻撃を行わない“サイバーセキュリティ協定”を結んでいます。攻撃の内容は、目的や相手によって変化します」(廣瀬氏)

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