経営者や研究者、医師、スポーツ選手……名だたるリーダーたちが愛読する中国の古典『易経(えききょう)』。どんなことが書いてあるのか。なぜ、人々は魅了されるのか。時代を超えて読み継がれてきた名著のエッセンスを、易経研究家・小椋浩一さんがお話しします。
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古代黄河文明で四書五経の筆頭に位置づけられてきた『易経』は、その内容が洞察力や直観力を身につけるのに適した書であることから、君主や高級官僚が盛んに学んだ帝王学の書と言われています。
『易経』によれば、幸運・不運は天の循環で表裏一体のもの。人が思いどおりにできるものではありません。落ち葉がひらひらと、表と裏を見せながら舞い落ちるようなものです。
人ができるのは、幸運をできるかぎり長持ちさせ、不運をできるかぎり最小化することだけなのです。不運を「天災」、その後のまずい対応が招く不幸を「人災」と呼んで区別するならば、天災は避けられないが人災は避けられる、という考え方です。そのためには、幸運・不運を予測する術が重要になります。
そこで『易経』は、まず「陰と陽」の循環法則で64パターン(卦)の状況の変化を想定しました。さらに、そのそれぞれに時間・空間、成長段階や立場の違いなどの多様性にも対応すべく、段階を設けてストーリー化したことで、384もの決断のパターンができました。
いわば、この世のすべてを分類・整理しようとした試みであり、これにより、幸運・不運の変化をある程度予測し、それぞれのパターンに対する最適な対応を準備できるようになったのです。
「この世界のすべてから学べ。目前の自然から学べ」という『易経』の揺るぎない教えは、時代の流れや環境に左右されない「人類のブレない軸」として語り継がれてきました。その示唆に富んだ教えは、現代を生きる私たちにも多くの気づきを与えてくれます。
ここでは、リーダーの成長の糧になる教えを2つ、ご紹介しましょう。
・坎為水[かんいすい]
一難去ってまた一難の時。どん底にある時こそ誠を貫け、の意。「四大難卦」の一つ。
非常な困難と、それを通じた成長を象徴する水の属性を持つ「四大難卦」。困難を嫌がるならば凶、成長を求めるならば吉を意味します。
良いリーダーになるには、自分の限界に直面する「修羅場経験」が必要であり、それが大きければ大きいほど、克服の暁には大きな成長が得られます。それは、チームも同じです。
次図の「タックマンモデル」は、心理学者のブルース・W・タックマン(1938〜2016年)が唱えたチームづくりのモデルのうち、最初の4段階です。
面白いのは、最初の(1)形成期と(3)統一期の間に、「ストーミング(嵐)」と称される、(2)「混乱期」があることです。これは実際の現場経験にも合致します。
大きなことを成し遂げるようなチームは、決して順調にはでき上がりません。人だけでなく一流のチームになるにも、やはり「修羅場経験」は必要です。「心理的安全性」の観点からも、チームが強くなるには、強い発言や議論にも慣れていかねばなりません。
しかし、そういった発言や議論がお互いに受けとめきれる範囲ならいいのですが、どうしてもチームの弱い部分や弱いメンバーなどが受けとめきれなくなって衝突が起こります。さらに加勢がついて衝突は拡大します。大きな衝突が起こればチームは壊れてしまいます。強いチームに成長できるかどうかは、この試練を乗り越えられるかどうかで決まります。
強いチームになりたければ、この衝突はむしろ起こったほうが良いものなのです。ぜひ本気で衝突しましょう。その勇気を後押しするような名言が『易経』にはあります。
易は、変化の法則だ。
物事はたとえ困難に当たっても、行きつくところまで行けば、かならず変化が起きる。
変化さえ起こせれば、それが障害を乗り越え、成果へとつなげる力となる。
そうして成果につなげられたものは、きっと長続きするだろう。
失敗は成功を連れて来ます。困難は喜びを連れて来ます。あなたがそう信じ、心に誠があるならチームはいっそう強固になり、大事を成し遂げ、皆で笑える日が来ることでしょう。そして、リーダーの成長もチームとともにあります。
非常な困難のなかにあっても、誠の心を貫きとおせば通じる。
進み続ければ尊敬される。
これ以上落ちることのないどん底の時こそ、チームにもリーダーにも真価が問われます。腹を据えて日々の仕事を辛抱強くこなしていきましょう。このような時こそ徳を積み、勉学に励んで内面を充実させ、志を捨てることなく将来に備えるのです。そう、それはまるで水に学ぶ徳のように。
プロ野球選手としても監督としても偉大な業績を残した故・野村克也氏は、頼まれた色紙にこう書いたそうです。
「水は方円の器に随う」
これは中国のことわざです。水は、どんな器に入れられても柔軟に形を変えます。四角い器なら四角に、丸い器なら丸に。つまりいかなる状況であっても、それに合った対応ができるのです。
「天に愛された人には試練が訪れる」――「四大難卦」が訪れるのも、そういった人です。決して無駄な経験はない。つらい経験は、人を強くも優しくもします。つらい経験があるからこそ、人に優しくなれるのです。
そしていくつになっても、十分に知識を持っていても、もっと学ぼうとする意欲は、あなたをみずみずしく保ちます。水が流れるがごとく、あなたを潤すのです。
「自問自答の書」とも言われる『易経』ですので、その教えから自問自答できるように「問い」を立てました。自問自答を通して、迷いや悩みと向き合い、そこに対して自分の答えを持つようになれば、教えから学びを見出すことができます。
【易経からの問い】その時は大変だったけれど、後々ためになった経験はありますか?
・火天大有[かてんたいゆう]
皆から立ててもらえる時。大人(たいじん)らしい立派な振る舞いをせよ、の意。
リーダーとしてのあなたは、皆の太陽です。部下や後輩、弟や妹、子どもたちなど、皆があなたを頼りにしています。あなたに学ぼうと、皆が寄って来ます。そういった状況で、あなたはいったい、どのように振る舞うでしょう?
絶対に忘れてはならないのは、「あなたの恵まれた地位は、他者から見ればうらやましいものだ」という点です。あなたがいなくなれば自分が代わりにその地位に座りたいという人は、無数に存在するのです。
そのため、もしあなたが隙を見せ不用意な対応をとるようであれば、すぐさま批判を浴びます。不満の対象にもなります。あなたを引きずり降ろして取って代われると思っているような人に、陰で悪口を言われているかもしれません。
現在の盛運はあなたの実力のみでなく、天の佑けがあってのことです。決してうぬぼれてはいけません。謙虚な気持ちを忘れないことが、今の地位を長続きさせるのです。
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明治学院大学 経済学部准教授