巨人のチョーさん小松裕の「スポーツドクター奮闘記」(1/2 ページ)

ドラフト会議で2度の指名を受けるも、あくまで意中のチームへの入団をこだわり続けた長野選手。その素顔は、あらゆる物事に対して真剣で、誰からもかわいがられる好青年なのです。

» 2009年12月07日 08時30分 公開
[小松裕(国立スポーツ科学センター),ITmedia]

 去る11月17日に「第2回 ワールドベースボールクラッシック(WBC)」のチャンピオンリング贈呈式が行われたため、わたしも出席してきました。メジャーリーガーの出席者は岩村明憲選手だけでしたが、世界チャンピオンになった面々が久しぶりに集結しました。われわれスタッフも、本物の宝石ではないけれど形は同じで名前も入ったチャンピオンリングをいただき、1カ月間一緒に戦った仲間たちと喜びを分かち合いました。

 彼らはドラフト会議を経てプロ野球選手になりました。松坂大輔選手やダルビッシュ有選手のように、スーパースターとしてプロ入りした選手もいれば、そうでなかった選手もいます。結果を出さなければいつクビになるか分からない厳しいプロの世界です。プロに進むかアマチュアにとどまるか、悩んだ選手もいたでしょう。一見、華やかそうに見えるプロの世界ですが、数年で去っていく選手の方が多いのですから、「プロ野球」という道を選択するには、皆それぞれ勇気や決断が必要だったはずです。

ドーハでの出会い

 今年のNPB(日本野球機構)ドラフト会議で気になる選手が一人いました。長野(チョウノ)久義選手です。長野選手は日本大学4年のとき、北海道日本ハムから4巡目指名を受けました。巨人入りを熱望していた彼は、それを拒否し、社会人野球のホンダに入りました。

 社会人野球に入ってからも彼は成長しました。そのころにドラフトで希望入団枠制度が廃止されたため、2年後に巨人が指名してくれることを祈りました。しかし、昨年ロッテから2位指名を受け、考え悩んだ末、それも拒否しました。今シーズンはさらに大活躍して、今夏の都市対抗野球では打率5割7分9厘で首位打者賞を獲得し、チームを13年ぶりの優勝に導きました。そして今回のドラフトで巨人から1位指名を受け、とうとう念願の巨人の一員になることが決まったのでした。

 長野選手とは、3年前にカタールのドーハで行われたアジア大会からの付き合いです。彼はまだ大学生でしたが、全員アマチュアで構成された全日本チームの一員に選ばれ、レギュラーとして活躍しました。当時のチームには、今回のWBCメンバーだったオリックスの小松聖投手のほか、中日の野本圭選手、楽天の長谷部康平投手、横浜の高崎健太郎投手など、後にプロ入りした選手が多くいました。わたしはチームドクターとして帯同し、選手村で彼らと寝起きを共にしました。

 最初は「日ハムの指名を断った長野というのはどんな選手なんだろう」と思いました。世間一般では「どこの球団に指名されてもそこで頑張ります」と宣言する選手の方がさわやかですがすがしく感じられるものです。しかし、チームの中で長野選手はとても礼儀正しく、真剣に野球に取り組むさわやかな好青年でした。皆の話を一生懸命に聞き、一回りも年上の先輩選手たちからも「チョーさん」と呼ばれ、かわいがられていました。

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