マーティン・ルーサー・キングJr.のリーダーシップ海外ベストセラーに学ぶ、もう1つのビジネス視点(2/3 ページ)

» 2012年01月11日 08時00分 公開
[エグゼクティブブックサマリー]
エグゼクティブブックサマリー

リーダーの誕生

 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師のリーダーシップは、米国の公民権運動に影響を与え続けています。公民権運動は、いまだにキング牧師の築きあげたものを基盤としています。公民権運動は、何世紀にも渡る奴隷制度への反発として起こりました。長期に渡る議論の末、アメリカ合衆国建国の父は、1776年に「独立宣言」に署名し、奴隷制度を失くすことに決めました。

 1820年までには「黒人奴隷制度」は南部地域だけに限定されました。その後、南北戦争が終わると連邦政府は正式に奴隷制度の廃止を宣言しましたが、人種差別はその後も続きました。人種差別主義者により、黒人用と白人用に別々の学校や施設が建てられ、黒人の選挙投票は妨害されました。また、クー・クラックス・クランなどの白人主義者団体は、リーダーシップを示そうとした黒人を脅したり殺害したりしました。

 1950年代に起こった2つのカギとなる出来事が、米国で公民権運動を引き起こし、キング牧師の関与に拍車をかけました。1954年、最高裁は「ブラウン事件判決」を下し、教育に「分離平等」は存在しないことを認めました。また、1955年、ローザ・パークスはアラバマ州モンゴメリーでバスに乗っている時、白人男性に席を譲ることを拒否しました。これが世に有名な「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」の発端です。

 この時、キング牧師は地元のベクスター・アベニュー・バプティスト教会の牧師でした。キング牧師は、バスのボイコットを指揮していたモンゴメリー改善協会(MIA)から、リーダーになって欲しいと要請されました。キング牧師はまだ街に来て時間が経っておらず、特定のグループや計画に関与していなかったため、MIAは最終代表者候補にキング牧師を選んだのです。

 公民権をめぐる争いはすぐに全国に広まり、キング牧師は国際的に有名になりました。時を同じくして、他の人権活動団体も南部周辺でバスのボイコットを始めました。また、1957年にはキング牧師は、2人の黒人リーダー、「寝台車ポーター組合」の会長であるA・フィリップ・ランドルフと、NAACP(全米有色人地位向上協会)の事務総長であるロイ・ウィルキンスと一緒に「自由への祈りの巡礼」を指揮しました。

 その翌年、新しい同盟を組み南部キリスト教指導者会議(SCLC)を立ち上げ、有権者登録のための全国的なプロジェクトを指揮しました。それからすぐ、キング牧師は牧師を辞め、正式なリーダーになりました。

 SCLCはキング牧師が亡くなるまでの10年間、キング牧師のリーダーシップの足掛かりとなりました。キング牧師は、インドのモハンダス・ガンジーに習い、非暴力を貫くという強い決意の中にリーダーシップを発揮しました。そして、レストランや学校などの公共の場での人種差別に反対するデモ行進をいくつも指揮しました。その他にも、国民の注目を集めた有権者登録運動の陣頭指揮も執りました。

 その結果、キング牧師は差別の撤廃を後押しし、平等への扉を開けたのです。残念なことに、キング牧師のもたらした変革に反対する敵が沢山生まれ、1968年、キング牧師はその内の1人にテネシー州メンフィスのモーテルのバルコニーで暗殺されました。

 この内容からは、キング牧師の残した足跡からその功績を簡潔に知ることができます。彼が、リーダーシップを発揮する源となったもの、それは、「人種差別撤廃」という信念に基づくものであったということがよく分ります。

 結果的に彼は暗殺という形で人生の幕を閉じることとなりましたが、その功績は高く評価されていますし、リーダーシップとは、どのようなものなのかということを知るという点に於いては、とても分かりやすく記述されています。

リーダーシップの備え

 バスのボイコットやその後の全国的な公民権運動を指揮した時、キング牧師は次のようなカギとなる戦略を使いました。その戦略により運動は成功し、それと同時にキング牧師のリーダーとしての地位を確かなものにしました。

成功戦略となった運動とは?

 ・目標を設定し、行動計画を立てる:キング牧師と彼の組織は、モンゴメリーの長期的なバスのボイコットのために具体的な計画を立てました。

 ・新しく正式な同盟を結ぶ:「キング牧師のモンゴメリー改善協会」がボイコットを指揮するために新しく作られました。

 ・人を巻き込む:MIAは、ローザ・パークスが集会で「偉大なヒロイン」として自身の体験談を語り、人を引き込みました。

 ・話し合いと交渉を求める:主催者は、交渉に応じない人の抵抗を、強い意志を持って取り除こうとしました。

 ・革新する:MIAが代わりの交通手段を用意したため、黒人は変革の主張が受け入れられるまで地元バスのボイコットを続けることができました。

 後に、キング牧師はこの主な戦略を他のデモや反対運動を指揮する時に活用しています。キング牧師は人の話を聞き、指揮をとり導きました。彼は自分を支持してくれる人の願いを完全に理解したいと思っていたのです。人の話を聞くことで調和のとれた関係が築かれ、人々にリーダーとして信頼してもらえるようになったのです。

 キング牧師は人々に、自分達が闘って手にしようとしている原則を思い出させ、自分達は公平と不公平との戦いに参加していることを強調しました。そして、例え怖くても引きさがらないよう彼らを鼓舞しました。また、キング牧師自身も目標を達成することに全力を傾けました。キング牧師は、「人は心を決めたら、目標を達成するためにできることは何でもする覚悟をしなければならない。全身全霊を捧げなければならない」と語っています。

 正直、キング牧師のやり方は非暴力ではありますが、かなり過激なものであることも間違い無いと思います。とはいえ、ここで紹介している5つのカギは戦略として利用するためには非常に有効なものであるともいえます。リーダーシップとは自分の考えを強要するものでなく、他人の意見を聞きそれを取りまとめて実践することだと理解できます。つまり、キング牧師の事例からいえばここで行った過激な行動はある意味、当時の民衆の不満の代弁だったと考えられます。

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