話題のiPhoneテザリングサービス「t.free」を開発したのは、米国出身のクリストファー・テイトさん(24)だ。17歳で著名なネットサービスを作り、その後来日して5年。「技術の力でもっと自由につながりたい」と、サービスを作り続ける。
この夏、期間限定で公開された「t.free」が大きな反響を呼んだ。iPhoneを利用し、Mac OS X搭載機をインターネットに接続できる無料のテザリングサービスで、ITベンチャーのコネクトフリーが開発。iPhoneに専用アプリをダウンロードしたり、“脱獄”させる必要のない画期的なサービスとして人気を集めた。
「便利すぎておそろしい」「助かってます!」「神ツール」――Twitterにはユーザーの喜びの声があふれ、開発したクリストファー・テイトさんに届く。テイトさんはコネクトフリーの社長兼開発責任者で、1988年生まれの24歳。京都に住み、日本向けサービスを開発している。
17歳の時にシリコンバレーで写真共有サービス「Zooomr」を作って起業。Flickrのライバルとして話題を集めた。19歳で来日し、ブログパーツ「Zenback」、社会人SNS「ケイレキ.jp」、公衆無線LANサービス「connectFree」など、さまざまなサービスを作ってきた。
いつも楽しそうな笑顔で、新サービスのアイデアや夢を流暢な日本語で語る。いつでもどこでもMacBookを持ち歩き、思いついたらすぐに開発やメンテナンスを始める。「もっと自由にスマートに、みんなとつながりたい」。すべてのサービスに、そんな思いが詰まっている。
テイトさんがMacと出会ったのは3歳のころ。「父が、『面白いものが来たよ!』って、キッチンテーブルにダンボールを置いて」。その中身がMacだった。電源を入れるとじゃーんという音がして、起動アニメーションが表示され……「テレビのようだけど、自分でいじって反応するのが面白くて。これで俺の人生絶対に変わるなと思った」。
当時「シアトルの田舎に住んでいた」ため遊び場も少なく、「パソコン少年になった」。電話回線でネットにつなぎ、4歳でHTMLを学び、5歳でC言語によるソフト開発を始めたという。父の友人のつてでワシントン大学のUNIXアカウントをもらってリモートログインし、テキストベースの情報検索システム「Gopher」でワシントン大学の教授陣のメールアドレスを調べ、電子メールクライアント「PINE」でメールを送って質問すると、返事が来た。「聞くだけで情報が落ちてくる。インターネットは素晴らしいと思った」
高校は15歳で飛び級卒業。大学にも半年通ったが、「つまらないと思って、時間がもったいなくなって」16歳にシリコンバレーに移り、17歳の時に写真共有サービス「Zooomr」(ズーマー)を開発した。小さなころからネットで遊び、世界中にネット友達がいる彼。写真なら、言語の壁なく交流でき、シリコンバレーの様子を友たちみんなに発信できると考えた。
人物のタグ付けやジオタグに対応するなど当時としては画期的な機能を備え、日本語や英語、スペイン語、中国語など12言語に対応。世界で80万以上のユーザーを獲得した。Flickrのライバルとも評され、買収のオファーが殺到したが、「全部断った」という。「自分の会社でちゃんと運営したかった。お金持ちになりたければ売却しただろうけど、お金が欲しいんじゃなくて、面白いことをやりたかっただけだから」
19歳のある夜突然思い立ち、単身、日本に渡った。日本の技術や製品が好きだった。ピアノの先生は日本人で、家にはソニーのテレビやトヨタの自動車、オンキヨーのステレオがあった。「アメリカでは広い家に住んでいい生活をしていたけれど、アメリカがつまらなくなっていた。日本人は面白いものを作っている。そこに参加したいと思った」
Zooomrユーザーが空港まで迎えに来てくれ、最初の2カ月はユーザーの家を渡り歩いて暮らしたという。日本でビジネスができるか不安で、定住するかは迷っていたが、あるできごとがきっかけとなり、住もうと決心した。
ある日工事現場で、社長風の人物がハンカチを落としたのを見た。現場にいた作業員が手を止め、社長にハンカチを渡すと、社長は仕事を止めさせてしまったことを恥じながら、「わざわざすみません」と丁寧にお礼を言う――そんな何気ないシーンが、彼の心を打った。「社長が作業員の作業を邪魔したと感じて謝ったことにすごく感動して、泣いてしまった。アメリカの社長だと、ハンカチを持って来て当たり前と偉そうな態度をとるが、日本人は違う。みんながそれぞれ、仕事に対して責任と敬意を持っている」
都内に住み、日本語を猛勉強した。ネットを使ってひらがなやカタカナの概念を学び、ノートいっぱいに字を書きまくった。3カ月でひらがな、カタカナと漢字300文字程度を習得。最初は読み書きしかできなかったため、ノートに字を書いて日本人とやりとりしたという。
「日本人はみんな携帯電話を持っている」――Zooomrを日本で広く使ってもらうには、携帯対応が必須と考え、携帯電話版を開発。08年には、日本の仲間とともにBlueBridgeという会社を作り、取締役兼最高技術責任者に就任した。「日本にはハードメーカーが多いが、面白いソフトを作る会社がなかった。シリコンバレーの考えを持ちながら、日本でソフト開発の仕事ができなか」。そんな思いで起業したという。
BlueBrigeで作った「Am6」(ITベンチャーのメルティングドッツと共同で公開)は、設定した時間帯に毎朝、登録したサイトの更新情報がまとめてメールで届くサービス。まるでポータルサイトのように、その日の天気やニュースをまとめて確認できた。「スパムや広告の入らない便利な情報サービスを作りたい」と開発したもので、テレビ番組などで紹介され人気サービスに育ったが、「通信キャリアにサービスを止められてしまった。理由は教えてもらえなかった」という。
SNS「ケイレキ.jp」は、日本人の履歴書フォーマットを見て発案。出身校や所属企業を登録し、社会人同士で特技や知識などを共有できる招待制のSNSで、「IT企業の人たちにたくさん使っていただいた」が、それ以外の業種に広がらなかったと振り返る。
シックス・アパートのブログパーツ「zenback」の開発者も彼だ。ブログ記事の下に、TwitterやFacebookに投稿できるボタンと、関連するブログ記事や、ほかのユーザーが書いた関連ブログ記事が自動で挿入される仕組み。「当時は、ブログとSNSの世界が分かれていた。両方が簡単に、自由につながれるものを作りたかった」
人と情報、人と人をつなぐサービスばかり作ってきた。「connectFree」もそうだった。
「日本のカフェやお店が、もっとネットにつながりやすくなれば」――2010年夏、カフェでPC作業していた時のこと。Wi-Fiがつながらず途方に暮れ、お店がフリーの公衆無線LANサービスを提供してくれればいいのに、と考えた。
無料の無線LANを提供するだけでは、お店にはメリットがない。店舗が喜んで導入してくれる形はないか――そう考え、お店の情報などをWebブラウザに表示出来るレンタルルーターを発案。客はその店の無線LANに無料で接続できる代わりに、Webブラウザにお店からのお知らせや、お店のブログ、Twitterアカウントなどが表示されるという仕組みだ。
その夜さっそく自宅のルータを改造し、一晩でプロトタイプを製作。自由につながるサービスという思いを込め、「ConnectFree」と名付けた。友人の店などに置いてもらってテストし、改善を続けて商品化。友人づてで店舗に営業したところ、都内のすし店が第1号として導入してくれた。日本の伝統的な業態である寿司屋にも導入できるなら、日本中の店に置いてもらえるのでは――確信を持った彼は、出資を受けてコネクトフリーというベンチャーを起業し、代表取締役に就任。このサービスを本格的に広げていこうと決意した。
「電波の力でコミュニティーを作りたかった」とテイトさんは話す。ブログやTwitterを運営している店は多いが、来店客がそれらに接する機会は少ない。コネクトフリーなら、店に来てくれた人にブログURLやTwitterアカウントを知らせたり、更新情報を届けられる。「コネクトフリーの価値は、お店とお客さんがコミュニケーションできること」
設置店舗は徐々に広がり、カフェやバー、CD店「タワーレコード」の小型店舗などに導入。11年10月には大日本印刷との共同展開が決まり、傘下の書店「MARUZEN&ジュンク堂の渋谷店」店頭にも設置された。同書店のConnectFreeには店内の本を検索できる機能も備え、テレビで紹介されるなど大きな反響があった。
セキュリティ問題が指摘され、ネットで炎上したのは、そんな矢先だった。
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明治学院大学 経済学部准教授