「実践」は革新的な“何か”をただ世に送り出せばいいという類のものではなく、世に送り出すプロセスの“質”の違いそのものに着目している。
「U理論」とはマサチューセッツ工科大学 スローン校 経営学部上級講師であるC・オットー・シャーマー博士が提唱している過去の延長線ではない、全く新しい可能性の未来を創発するイノベーションの理論です。
「U理論」ではイノベーションをもたらすプロセスを「行動の源(ソース)を転換するプロセス」「出現する未来を迎え入れるプロセス」「その出現する未来を具現化、実体化するプロセス」のという3つに大別しています。さらに、その3つのプロセスを7つのステップに分けて提示しています。7つのステップの概要は第2回目のコラムにて詳しく紹介していますのでそちらを参照してください。
今回は、「その出現する未来を具現化、実体化するプロセス」の最後のステップとなる「実践(Performing)」を紹介します。
「実践(Performing)」と聴くと、どんなイメージが思い描くでしょうか?
まず「実践」という漢字を辞書(大辞泉)で引いてみると、「 主義・理論などを実際に自分で行うこと。“理論を―に移す”」とあり、用法として「実行」、「実践」、「実施」との違いが次のように記述されています。
「“実践”は理論・徳目などを、みずから実際に行う場合に多く使う。“理論と実践”“神の教えを実践する”など。“実行”は最も普通に使われるが、倫理的な事柄についてはあまり用いない。“親孝行の実践”に、“実行”を用いると不自然な感じになる。“実施”は、あらかじめ計画された事・行事などを実際に行う意で、“減税計画を実施する”“試験の実施期間”などと用いる。」
それに対して、原語の“Performing”の動詞である“Perform”を辞書で引くと、「1、(劇を)上演する;(役を)演じる;(曲を)演奏する、(楽器を)ひく 2、(任務などを)なす、行う、成し遂げる;(儀式などを)とり行う;(約束・命令などを)果たす、実行する、履行する」(プログレッシブ英和中辞典)と記述されています。
翻訳をする際に、この“Performing”という言葉に、どの訳語を充てるのか非常に悩みましたが、出現する未来から生まれ出たインスピレーションからプロトタイピングを通して、形を成してきたものを実際に世の中に提供していく神聖さ、そして、あらかじめ計画された事や行事を行うようなニュアンスではなく、楽器を演奏するかのように行動を生み出していくさまを表現するうえで、「実践」がふさわしいのではないかという想いに至り、この言葉を充てることにしました。
「実践」のステップは、日々の行動に根差すプロセスである分、従来型のPDCAサイクルや、改善活動といった既存の枠組みの中だけで理解されていることを危惧しているのか、著書の中での、このステップに関するオットー博士による説明の抽象度は非常に高く、「理解できたような、理解できないような」感覚が残ることも多いのではないでしょうか。
仮に、U理論の7つのステップを実施している様子をビデオに収めたとしたら、他の6つのステップは、動画を通して、その特徴を何かしら感じ取ることは可能かもしれません。しかし、この「実践」に関しては、仕事にしろ、演劇や演奏にしろ、スポーツにしろ、家事にしろ、おそらく単に何かしらの行動を起こしているだけで、何か特徴を見分けることは困難であると思われます。
それは、まるで、一般の人がフィギュアスケートの世界大会の中継をテレビで見て、その日の選手のコンディションが良さそうか、そうでないのか、その技能が他の選手と比べて卓越しているのか、そうでないのかの違いくらいしか見分けられないのと似ています。しかし、それを「実践」しているアイススケーターの本人にとっては、毎回の演技が違うのはもちろんのこと、刻一刻と変化する自分の内面や周囲の状況も含めて、どの瞬間も決して同じものはなく、常に言葉では表現しきれない真新しさを感じているのではないかと思います。
オットー博士はこの「似て非なるもの」を実践のステップの中で表現しようとしています。誤解を恐れずにいえば、この「実践」の本質を理解し、体現できなければ、U理論を実践できていないばかりか、理解できていないと言っても過言ではないのかもしれません。この「実践」のセンスを伝えるために、オットー博士は次のように言及しています。
「(実践を理解する上で)演劇を想像するのがよいかもしれない。実際に舞台に立ったことがあるなら好都合だ。というのは、俳優たちは演出家から指示を得るだけでなく、俳優同士でも意見を言い合い、そのようなプロセスで演技を練り上げて良い舞台を作っていくことを知っているはずだからだ。何かが加えられることもあれば、省かれることもある。演劇は生きた構造だ。時間と空間の場の中で保持され、磨かれ、洗練される。何回もリハーサルを繰り返して初めて幕を挙げる準備が整う。その後もなお進化し続けるが、今度は、観衆のエネルギーとプレゼンスの要素が加えられる。“実践”とは、観衆やわれわれを取り巻く場所との深い結びつきによって生じるフィールドから活動することである」
プロトタイピングまでが、練習場や実験室、もしくは特定のプロジェクトの中で、行われてきた活動なのに対して、繭(コクーン)から出て、より公の場で繰り広げられ、本番の舞台であったり、関係者の日常業務や、世間一般の人の日常業務に組み込まれていったりする段階が“実践”であると言えます。
そしてそれは、革新的な“何か”をただ世に送り出せばいいという類のものではなく、その世に送り出されるプロセスの“質”の違いそのものに着目しています。
「ライオンキング」というミュージカルの名作が生まれようとも、それを日々実践する劇団四季の劇団員の演技が「死んで」いれば、ロングラン公演にはならないでしょうし、マッキントッシュ、iPod、iPhoneといった革新的な商品が生まれようとも、それを大量生産し、流通させるプロセスが「死んで」いれば、世の中に普及することはなかったでしょう。
オットー博士は、U理論で表現される一連のプロセスをエンジニアリングとして語られるような機械的な何かとして捉えているのではなく、生態系の進化のプロセスそのものとして捉えています。
出現する未来から現れ出た進化の種が、土に根を張り、芽を出し、森にまで発展することもあれば、芽が出たとしても、そのまま枯れてしまい、土に戻るだけに終わってしまうこともあるという生命の営みそのものを人間社会に当てはめて、U理論で表現しようとしています。
この「実践」のステップでは、プロトタイピングまでのプロセスを通して出てきた芽が、他の動植物、太陽光や雨風といった周辺環境と連携を取りながら、大木となって営みを経る状態になるための着目すべき原則のいくつかが提示されています。
ここからは、その「実践」を「実践」足らしめるための原則を紹介します。
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