三島由紀夫の割腹自殺、あさま山荘事件の勃発、金脈問題による田中角栄の辞任……。激動の1970年代を東大で過ごした著者・四方田犬彦が見てきたものとは?
「1970年代」とはいかなる時代だったか。1972年から1978年にかけて、東京大学で学生時代を過ごした批評家・四方田犬彦は次のように語る。
1960年代後半の派手派手しい政治的興奮と、1980年代の大衆消費社会の全面開花の挟間にあって、不当なまでに置き去りにされてきた時代であり、新左翼セクト同士の殺人によって記憶される「鉛のように重く消沈した歳月」。1970年代とは、いわば長い服喪の期間だった。
大阪万博で華々しく幕を開けるが、すぐに三島由紀夫の割腹事件があり、続いて連合赤軍事件が勃発、オイルショックによる地価と諸物価の高騰に見舞われる――そんな時代の真っ只中において、何を学び、何を考えたのか。
本書は四方田犬彦の東京大学での日々の回想録であり、当時著書が書き記していた思索ノートの断片を採録し、時代の空気感をも浮き彫りにしたものである。本のカバー写真は、かつての東大駒場寮なのだろうか。幽閉空間から一抹の光明を見出すようなイメージで、本全体がこの沈鬱な鉛の歳月を封じ込めているかのようだ。
冒頭で語られる「内ゲバの記憶」は実に生々しい。著者の同級生はたまたま引っ越しを手伝っていただけで、セクトの人間に間違えられて撲殺される。本書執筆にあたり、著者は学問の世界で現在活躍するセクトの当事者を取材している。そこで明かされたのは、当事者さえも組織全体について知らされず、使い捨ての一駒として上層部の命令に絶対服従しなければならなかったという事実だった。
いささかゴシップ的な興味とともに引きつけられるのは、当時の大学教員や同級生の言動がいかなるものだったかを語った章である。英米文学の鬼才・由良君美、仏文学者の阿部良雄や蓮實重彦、宗教学者の柳川啓一らがどのような講義をしていたか、また今や芸術人類学を標榜して人気が高い中沢新一や、オウム事件で話題になった宗教学者の島田裕巳らがどのような学生生活を送っていたか――あくまで著者の眼から見た人物像ではあるが、当時の大学の雰囲気を伝える記録として興味深い。かつては、現在では想像できないほど濃密な「知的共同体」が存在していた。それは教師と学生のあいだだけでなく、学生同士にも行きわたっていたのである。
本書の最後を締めくくるにあたって、著者はこう述べている。
「もし眼の前に金の箱、銀の箱、鉛の箱の3つが並んでいたとして、どれを選ぶかと尋ねられたとしたらどうだろう。人生の半ばをとうに過ぎたわたしは、ためらうことなく金の箱を選ぶはずだ。たとえその中に虚飾や痴愚を示す髑髏が入っていたとしても、もはやそのことで新たに後悔をすることはあるまい。だが20歳のときのわたしは違っていた。わたしは金にも銀にも眼もくれず、むしろ率先して最もみすぼらしい鉛の箱を手に取ったはずである」
この感慨は同世代にどう響くだろうか。
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早稲田大学商学学術院教授
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明治学院大学 経済学部准教授