かつては、世間を驚かせるような画期的な商品を生み出し続けていた会社が、時の経過とともに、平凡なアイデアしか生み出さなくなってしまった例は少なくありません。それは、非凡な人が平凡になってしまったからではなく、コミュニケーションが変わってしまったからです。
組織は、人が集まっていれば組織になるわけではありません。そこにコミュニケーションがあるから組織が成立します。もし、組織からコミュニケーションがなくなってしまったなら、それはただ人が集まっているだけの、無意味な集団に過ぎなくなってしまいます。つまり、組織はコミュニケーションによって構成されているのです。そのため、組織が変わるには、コミュニケーションが変わらなければなりません。
コミュニケーションは1人ひとりが行っているように捉えられがちですが、コミュニケーションは、そもそも1人ではできません。むしろ、人がコミュニケーションに参加していると考えた方が、問題がより明確になります。参加の対象となるコミュニケーション自体が創造性を欠いているので、斬新なアイデアが生まれてこないのです。
A社の商品企画部門におけるコミュニケーションは、経営者の好みや、マーケティングの理論、マニュアルに強く影響されていました。つまり、コミュニケーションに参加する個々の担当者からすれば、外側の基準に従って、コミュニケーションが進行していたと言えます。そこでは、担当者の価値観や感性がコミュニケーションに反映されず、あたかも人から幽体離脱したかのように、コミュニケーションが進んでいました。
コミュニケーションが人の外側の基準に従って動くとき、人はどこかにある答えを探そうとしてしまいます。けれどもしょせん探して見つけられるような解に、斬新なものはないでしょう。またチームの皆が自分の外の基準に則って答え探しをしたなら、そこから生まれるアイデアは似通ったものになってしまいます。せっかく異なる人が集まったにも関わらず、アイデアは画一的になってしまいます。
原発事故以来、「原子力村の論理」が批判されています。原子力ビジネスに携わる企業の人々や学者が、自分たちの都合のよい論理を築いて、自己正当化しているとの批判です。この「村の論理」も、コミュニケーションに参加する人からすると、外の基準です。
「村の論理」に従ってコミュニケーションが行われるとき、コミュニケーションは自分が従う論理を、より強化する方向に進んでしまいます。それは、現状肯定です。それによって、ますます変化が起こりにくくなります。私たちは、外部から「原子力村の論理」を非難しますが、私たちの会社のコミュニケーションも同じようになっていないか、客観的に見つめてみる必要があるでしょう。
コミュニケーションが外の基準に従っている限り、変化は起こりません。変化を起こす原動力は、むしろ人の内側にあるのです。
「村の論理」の中にいる人に、「話し方」「聞き方」のHowを教えても、「村の論理」を強化してしまうだけです。変化を起こすためには、そもそも私たち自身が、「何を話すべきか」「何を聞くべきか」という、Whatを問い直さなければならないのです。その内容について、次回以降、解説していきたいと思います。
エム・アイ・アソシエイツ株式会社代表取締役
東京大学法学部卒業後、アクセンチュア入社。同社のヒューマンパフォーマンスサービスライン統括パートナーを経て、2003年に独立し、エム・アイ・アソシエイツ株式会社を設立。同社では、人と組織の内発的変革を支援する研修、診断、コンサルティングサービスを提供している。主な著書に、「アイデアが湧きだすコミュニケーション」「論理思考は万能ではない」「組織営業力」などがある。
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早稲田大学商学学術院教授
早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授
株式会社CEAFOM 代表取締役社長
株式会社プロシード 代表取締役
明治学院大学 経済学部准教授