日本近代文学の文豪でラスボスの“夏目漱石”――その攻略法を漫画にひもづけて読むITmedia エグゼクティブ勉強会リポート(1/2 ページ)

1000円札の絵柄になった漱石、教科書に載った漱石、弟子が見た漱石、家族が見た漱石、全て同じ漱石だが、それぞれにイメージは違ったものとなる。漱石というイメージを孫の夏目房之介さんが読む。

» 2022年12月06日 07時08分 公開
[山下竜大ITmedia]

 ライブ配信で開催されているITmedia エグゼクティブ勉強会に、日本近代文学の文豪の1人である夏目漱石の孫であり、マンガ評論家でエッセイストの夏目房之介氏が登場。「孫が読む漱石 〜夏目漱石というイメージ〜」をテーマに講演した。セミナーの冒頭で夏目氏は、次のように語っている。

 「まず申し上げておかなければならないのですが、僕は漱石に会ったことはありません。うちの父が9歳のときに亡くなってますんで、会いようがないのです。まあ、会わなくて良かったと思ってますけどね。あまりできのいい方じゃなかったので、会っていたら相当怒られたんじゃないかと思います。親父とか叔父の話なんかでは、どちらかといえば非常に怖いイメージだということを聞いています」(夏目氏)

ゲームのラスボスにもなっている文豪漱石

 「日本文学」という言葉を聞いたときに、どんなイメージ、あるいはどんな顔を連想するだろうか。多くの人が、漱石や芥川龍之介、太宰治などの顔を思い浮かべるだろう。芥川龍之介は近代文学の繊細さを、太宰治は退廃を象徴しており、漱石は権威だという。夏目氏は、「漱石は三角形の頂点で、ゲームでもラスボスになっています。その下に、繊細さと退廃があり、この三角形で日本近代文学のイメージが出来上がっているというのが僕の持論です」と話す。

 ほかにも理由はある。3人とも教科書に載っている。また非常に印象深いのは1000円札の絵柄である。夏目氏は、「20代のころは、漱石という言葉が出ただけで眉間にしわがよって、青筋が立って、すごい神経質になっていました。30代はだいぶ仕事にも自信ができて、余裕ができたことから、漱石関連の取材も受けるようになりました。特に1000円札が出たときに、うちの親父がへそを曲げて、あまり取材を受けなくなったので、代わりに僕が受けたといういきさつもあります」と話す。

 漱石は、戦前から大作家というイメージがあるが、現在のような文豪のイメージが定着するのは戦後だという。夏目氏は、「戦前に漱石を好んだ人たちは、先生と弟子の学生の関係を描いた小説『こころ』を好んで読んだ師範学校の学生でした。戦後は、『こころ』を好んだ人たちの支持を得て、教科書に載ったことでイメージが確立します。僕なんかも、結局のところあれだけ嫌った教科書の影響を受けていました。でも文豪漱石というイメージも不変ではありません。変化するということです」と話している。

家の中の漱石は病気でやつれた感じ

 現在の漱石は、どっしりとしていて、権威と言われたら、そうかなと感じるイメージである。ところが実際は、胃が悪く、結構病気になって入退院を繰り返していたという。夏目氏は、「左の写真は、いま早稲田にある新宿区立漱石山房記念館で、ここに借家で住んでいました。そのころの写真を見ると、やっぱり病気でやつれてて、なかなかだらしのない感じです。右側の写真も、かなりやつれた感じです。前に移っている右側がうちの親父で、左が1歳下の叔父さんです」と話す。

家(族)の中の漱石。

 この2つの写真は、これまであまり使われておらず、漱石の詳しい本に載っている程度という。夏目氏は、「載せていないわけじゃなく、たぶんマスコミ自体が自粛するんですよね。偉そうじゃないし、自分の家で、浴衣でくつろいでいるのですが、あまり健康そうに見えないので使われないだけです。大衆、およびマスコミは取捨選択するので、イメージもだんだん固定化されるということです。そのため家でくつろぐ漱石の写真は、ほとんど発表されていません」と話す。

 漱石は、戦前から数多く取材されているが、撮影時に「笑ってほしい」と言われても笑わなかったそうだ。夏目氏は、「漱石は載ってる作家がみんな笑っている雑誌の取材を断りました。しかし笑わなくていいというので引き受けたら、案の定取材中に笑ってほしいいと言われ、漱石がこのままでいいですねっと言ったという有名な写真があります。現在はにらみつけてる写真が公開されていますが、もとの雑誌では修正で笑わせていました。漱石はそれを見て苦笑いをしたっていう落語みたいな話があります」と話す。

 戦前の昭和期にこれ以上有名な漫画家はいないぐらいの有名人である岡本一平は、漫画につけた文章を漱石に褒められ、漱石のところに何回も通ったという。夏目氏は、「岡本一平という人は、元気がいいというか、人懐っこいというか、漱石に会いに来て今度本を出すので1文寄せてほしいと頼み、文章をもらって本を出したりしています。残ってる写真は笑ってない漱石ばかりですが、岡村一平は取材の写真では見られない漱石の普段の姿のスケッチをたくさん描いています」と話している。

戦後漫画の漱石のイメージもさまざま

 漫画と写真では、線で描くものと光学的に撮るものとでメディアが違う。その違いで伝わるものも変わってくる。漱石に関しては、さまざまな本が残っているが、数多くの漫画も昔から発表されている。例えば、関川夏央と谷口ジローの共作である『「坊っちゃん」の時代』シリーズは、漫画アクション(双葉社)で1987年〜1996年の10年くらい連載して、何冊も本になっている。その最初のシリーズが『「坊ちゃん」の時代』で、漱石が『坊ちゃん』を構想する話である。

 「最初の1冊は、僕の大好きな山田風太郎方式で書かれてます。多分、関川も同世代なので好きだったと思います。山田風太郎の『明治もの』という作品には、いろいろな歴史上の人物がどんどん出会う話があります。実際には、ありえない話です。ラスプーチンが明治の日本に来たりするという小説を書いちゃう人ですから。あと漱石がロンドンに滞在中にシャーロックホームズを助けるみたいな小説も書いていますね。そういう楽しい人ですから、その方式を使ってます」(夏目氏)。

 また修善寺の大患と呼ばれる、修善寺で漱石が倒れて、一時本当に死んだといわれた事件が『不機嫌亭漱石』に描かれている。死んでいる間の漱石には、関川夏央と谷口ジローだけではなく、多くの作家が興味を持ったという。『不機嫌亭漱石』は、漱石が臨死体験の中ですでに亡くなっている多くの人たちに出会う非常に幻想的な内容になっている。夏目氏は、「実際には漱石は臨死体験をしていないのですが、この『「坊っちゃん」の時代』シリーズは名作で、じわじわ売れていて欧州でも翻訳されています」と話す。

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