インサイトの本質は、本人ですら気づいていない“無意識のホットボタン”を見つけ出すこと。どうすれば見つけることができるのだろうか。
「インサイトという言葉は、今やビジネスの現場で当たり前に語られるようになりましたが、本当に戦略的に使いこなしている企業はどれほどあるでしょうか」――。そう問いかけるのは、インサイト代表取締役の桶谷功氏。インサイトという概念を日本に初めて体系的に紹介し、20年にわたって数多くの企業の成長戦略に寄り添ってきた第一人者である。
講演の冒頭、桶谷氏は自身のキャリアを振り返った。「もともと広告代理店で広告クリエイティブの世界でインサイトを扱っていました。しかし、今は商品開発や事業戦略、経営そのものの基軸としてインサイトが据えられる時代になっています」(桶谷氏)
グローバル市場でも消費者心理への洞察なくして事業の成功はない――。こうした危機感をにじませる。
デジタル技術が進化した現代、消費者の行動データや反応を定量的に取得し、AIで戦術的に最適化することが容易になった。しかし桶谷氏は、「データや数字だけではブランドの成長や新市場の開拓という根本課題は解決できません。なぜなら、その“行動”の背後にある“なぜ”を見抜かなければ、本当の意味で人の心を動かすことはできないからです」と警鐘を鳴らす。
例えばコンビニの棚で水を手に取るときでさえ、そこには消費者自身も気付いていない選択の理由がある。「マーケティングとは、その見えない“理由”を掘り当て、企業の成長につなげること」と桶谷氏は語る。
桶谷氏は、「インサイトの本質は、本人ですら気づいていない“無意識のホットボタン”を見つけ出すことにあります」と強調する。
現代のマーケターが直面するのは、消費者の顕在的なニーズだけでなく、その下に眠る“無意識的な動機”をいかに発見するかという課題だ。人の行動の95%は無意識に基づくものと言われている。そのため、調査やインタビューで得られる表層的な答えを鵜呑みにしたり、消費者に“なぜ買わないのか?”と直接尋ねたりしても、答えは得られない。だからこそ、表層的な情報に留まらず、消費者の生活や体験を徹底的に観察し、潜在的なインサイトを自ら仮説として抽出する。そうした洞察のプロセスこそが重要だ。
インサイトを探るうえでは、企業ごとに目指すビジョンや生かせるリソースを重ね合わせて“自社ならでは”のインサイトを見極めることも欠かせない。インサイトはA社もB社も同じということはなく、自社の強みや戦略と響き合う独自のインサイトを選ぶことが、競争優位をもたらすのだ。
桶谷氏が取り上げたハーゲンダッツの事例は、インサイトマーケティングの神髄を端的に示すものだ。
1990年代初頭、日本のアイスクリーム市場は子供向け、低価格品が主流だった。そこへ、250円という高価格帯でハーゲンダッツが参入を計画。市場調査をしても、値段が高すぎる、アイスにそこまでお金は出せないとの声ばかり。販売の見通しは決して明るくなかった。
だが、そのまま高いから売れないと片付けてしまえば、新しい市場は決して生まれなかった。ここで桶谷氏らが徹底的に議論したのが、「なぜ大人の女性はデパ地下で高級スイーツを買うのに、高級アイスには財布の紐を締めてしまうのか?」という“正しい問い”だった。
「インサイトを探る上で大事なのは、本当に解くべき問いを見誤らないことです。大人の女性だって日々のご褒美として“贅沢”を味わいたいはず。けれど“アイスクリーム=子供のおやつ”という強いカテゴリーイメージが、無意識のうちに消費行動を制限していたんです」
桶谷氏は、「ヒューマンインサイト」と「カテゴリーインサイト」という2つの観点から状況を徹底的に検証した。ヒューマンインサイトは「大人の女性も幸せな気持ちに浸りたい、ご褒美を自分に与えたい」という人間共通の欲求。一方、カテゴリーインサイトは「アイスクリームは子供の食べ物」「大人が贅沢に食べるものではない」という固定観念だ。この2つの間には大きなギャップが存在する。「大人も贅沢な時間を求めているが、アイスはその手段として認識されていない。ギャップが大きいほど、イノベーションの余地が広がるんです」と桶谷氏は指摘する。
そこでハーゲンダッツは、「大人の女性が“幸せな時間”にゆっくりと浸るためのアイスクリーム」という新しいブランドの意味づけに挑戦した。ただ“高級”をうたうのではなく、「日常の中で自分だけの特別な時間」を演出するブランド体験を創出したのである。
「現代の贅沢とは何か? 実は“ゆっくりした時間”こそが最大の贅沢なのだと気づいたんです。ハーゲンダッツが伝えたかったのは、誰にも邪魔されない特別な自分の時間を大切にするという体験価値でした」
これを象徴するのがとろける時間に食べるという提案だ。カチカチのまま急いで食べるのではなく、アイスが少しとろけてくるのを待ち、ゆっくり味わう。その時間こそが、現代女性にとってのご褒美となる。「パッケージやCMも“自分の世界に浸る幸せ”を丁寧に描き出しています」と桶谷氏は語る。
こうしてインサイト(「大人も贅沢な時間を求めている」)と、プロポジション(「その時間を叶えるリッチなアイスクリーム体験」)が響き合い、「自分のためのご褒美アイス」として多くの大人の女性に受け入れられた。味や品質だけでなく、商品を選ぶことで得られる新しい意味を創出できたことが、ブランド成功の決定打になった。
ブランドはその後も“贅沢”や“幸せな時間”の意味を時代とともにアップデートし続けている。「贅沢=高級なモノ」から「贅沢=ゆっくりできる特別なひととき」へ。こうしてインサイトとプロポジションが響き合う戦略的ブランドデザインこそ、ハーゲンダッツが長く愛される理由だ。
ブランド成長の過程で直面したのが「ストロベリー味」の伸び悩みだ。知名度は抜群なのに、一部のファンしか手に取らない。食べない人とファンが持つイメージを、ビジュアル連想法で可視化したところ、明らかになったことがある。
食べたことのない人が選ぶのは、どこか人工的で子供っぽいキャンデーの写真。一方、ファンは、本格的で果実感の強い写真を選ぶ。この「パーセプションギャップ」を認識し、大人が満足できる「本物の果肉感」を新たに訴求。結果としてストロベリーはバニラに次ぐ人気フレーバーに成長した。
「多くの場合、表面的な“認知の壁”ではなく、実は消費者の中にある“無意識の壁”が障害になっています。そこに気づき、ブランドコミュニケーションを再設計することが成長のカギです」と桶谷氏は語った。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
「ITmedia エグゼクティブは、上場企業および上場相当企業の課長職以上を対象とした無料の会員制サービスを中心に、経営者やリーダー層向けにさまざまな情報を発信しています。
入会いただくとメールマガジンの購読、経営に役立つ旬なテーマで開催しているセミナー、勉強会にも参加いただけます。
ぜひこの機会にお申し込みください。
入会希望の方は必要事項を記入の上申請ください。審査の上登録させていただきます。
【入会条件】上場企業および上場相当企業の課長職以上
早稲田大学商学学術院教授
早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授
株式会社CEAFOM 代表取締役社長
株式会社プロシード 代表取締役
明治学院大学 経済学部准教授