意志決定は、その大きさにかかわらず、何が一番大事かということを考えることに尽きる。仕組みがないときは、あれこれ検証しようとして時間が掛かってしまうことがよくあるので、特に何が一番大切かを考える必要がある。
わたしが企業研修の席などで「どんな家を買いたいですか」と聞くと、「新築で」、「広くて」、「交通の便がよくて」、「安くて」、「静かで」、「環境がよくて」、「庭があって」、「駅に近くて」、「買い物に便利で」、「学校が近くて」など希望が山ほど出てくるが、実際にそんな家などありはしない。「交通の利便性を求めるのなら、狭くても築30年でもいい」と腹を括るべきである。すべてを求めるのではなく、一番大切なことだけを考えることである。
わたしが若い頃、ある上司から「問題を1つだけ言え」と教えられた。「うちの商品は、品質がそんなによくなく、価格も高いし、納期も遅く、客先も反応が悪い……」などといっぱい並べ立てていたわたしに対する上司の一言であった。その後もずっとこれがわたしの心に残っている。
原発事故後の課題を1つだけ言うとすると、誰もが安全確保と答える。安全確保であるのか、それとも発電コストを低減や電力供給能力の確保であるのか、そんな議論にはならない。前者はなんとしてもやり遂げなければいけないことであり、後者はなんとかなることである。後者には計画停電という奥の手もあった。
結局、廃炉とする覚悟が遅かったのではないか。償却の進んだコストの安い発電所が大きな供給力を持っている。これを捨てたくないという一瞬のためらいが意思決定を遅らせたのではないか。
前段が長くなってしまったが、「坂の上の雲」からの学びについて。
日本陸軍が大きな犠牲を払って203高地を奪還し、旅順港に逃げ込んだロシア太平洋艦隊を撃破したあと、遠くヨーロッパからやってくるバルチック艦隊を迎え撃とうとする日本海軍連合艦隊。
トップの東郷平八郎は、「海戦の要諦は、砲弾を敵よりも多く命中させる以外にない」という基本方針を持ち、戦略も戦術をこの1点に絞った。一方で「砲弾は容易にあたるものではない」と考えていたため、射撃訓練に最も力を注いだ。
海戦ではずいぶん遠いところから撃ち合う。当時でも7〜8千メートルも離れた敵に砲撃するのが普通であった。当時の望遠鏡は今の子供が持っているような性能であり、遠くの敵がよく見えない。双方の艦船も航路を変えつつ全速力で進んでおり、おまけに波で艦艇が揺れている。海戦の絵や写真で艦船の手前や向こう側に水柱が上がっているのをご存じだと思う。
「東郷は、艦隊決戦において勝敗のカギをにぎるものをただ一点に絞るとすれば、それは大砲の命中率だと考えていた。あたるあたらないが、結局は勝負を決するであろう。このため東郷は、どの艦に対しても、それが封鎖勤務中であろうと、航走中であろうと、裏長山列島の基地で待機中であろうと、砲員に対する訓練をつづけさせた。しかも東郷のおもしろさは、全艦隊の射手から名人上手を選抜して戦艦戦隊の主砲の砲員にしたことであった」(『坂の上の雲』、司馬遼太郎、文春文庫)
一番大事なのは命中させること。東郷はそう見抜き、射撃訓練を徹底的に行い、艦隊の腕のよい撃ち手を主力艦の主砲に集中配置したのである。
また、射撃距離を会わせるために、実践においてもまず1つの砲台から射撃させ、着弾地点を確認した。距離が確認できたら、それに全砲台が射撃距離を合わせ一斉砲撃した。ロシア艦隊は一斉砲撃したので、射撃手が多くの水柱を見て、自分の砲弾が艦船に届いているのか、それとも越えてしまっているのか分からなかった。
「優先順位」や「選択と集中」という言葉が、どこの職場でよく使われていると思うが、「大事なことを1つだけ言う」ということを上司も部下も普段から実践しておくことである。意志決定の正確性を高め、迅速な問題解決につながる。
古川裕倫
株式会社多久案代表、日本駐車場開発株式会社 社外取締役
1954年生まれ。早稲田大学商学部卒業。1977年三井物産入社(エネルギー本部、情報産業本部、業務本部投資総括室)。その間、ロサンゼルス、ニューヨークで通算10年間勤務。2000年株式会社ホリプロ入社、取締役執
行役員。2007年株式会社リンクステーション副社長。「先人・先輩の教えを後世に順送りする」ことを信条とし、無料勉強会「世田谷ビジネス塾」を開催している。書著に「他社から引き抜かれる社員になれ」(ファーストプレス)、「バカ上司その傾向と対策」(集英社新書)、「女性が職場で損する理由」(扶桑社新書)、
「仕事の大切なことは『坂の上の雲』が教えてくれた」(三笠書房)、「あたりまえだけどなかなかできない
51歳からのルール」(明日香出版)、「課長のノート」(かんき出版)、他多数。古川ひろのりの公式ウエブサイト。
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【入会条件】上場企業および上場相当企業の課長職以上
早稲田大学商学学術院教授
早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授
株式会社CEAFOM 代表取締役社長
株式会社プロシード 代表取締役
明治学院大学 経済学部准教授