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» 2014年12月17日 08時00分 UPDATE

気鋭の経営者に聞く、組織マネジメントの流儀:極端な変革を嫌う日本の組織風土。組織に手を加えない経営によって、V字回復を実現。 (1/2)

経営の経験・知識は全くなかった。いつ潰れてもおかしくない会社をたった3年で黒字回復させた復活劇の裏には。

[聞き手:中土井僚(オーセンティックワークス)、文:牧田真富果,ITmedia]

 日本電鍍工業は品種変量生産を得意とする金属めっき加工を行う会社だ。創設者は現代表取締役の伊藤麻美氏の父。伊藤氏はラジオのディスクジョッキーとして活躍していたが、経営が悪化したことをきっかけに、代表取締役に就任することを決意した。経営の経験・知識は全くなかったにも関わらず、いつ潰れてもおかしくない状態にあった会社をたった3年で黒字回復させた。その復活劇の裏には、彼女のどのような思いがあったのだろうか。

「社員の働く場を無くしてはいけない」全くの未経験で会社の再建を目指す

中土井:日本電鍍工業はどのような事業をしている会社なのですか。

141217ito.jpg 伊藤麻美氏

伊藤:1958年に私の父が創業した貴金属めっき加工を行う会社です。金、プラチナ、銀などの高価な材料の貴金属めっきが売り上げの9割を占めています。すべて手作業で行うことにこだわり、オーダーメイドのめっき加工が私たちの強みです。一点からの依頼も受け、品種変量生産で加工を行っているので、取り扱っている商品は多岐にわたります。時計のめっき加工をはじめ、フルートやサックスなどの管楽器、一般ユーザーのマウスピースの加工を受けることもあります。最近は、医療機器やアクセサリーの依頼も増えています。

中土井:お父さまの跡を継いだそうですが、どのような経緯で代表取締役になったのですか。

伊藤:創業者の父はモチベーション溢れる起業家でした。多いときは関連会社が5〜6社になるほど事業を拡大させていました。先見の明がある父でしたが、自分の命が早くに終わってしまうことは予想できなかったようです。65歳で末期がんを患い、手の施しようもなく亡くなってしまいました。私が大学を出て1年が経った頃でした。

 家族は誰も会社に入れていなかったので、社員の中から次の社長を選出していました。私は大学を卒業してから、ラジオのディスクジョッキーとして8年ほど働き、その後渡米。手に職をつけようと、宝石鑑定士になるための資格を取りました。これからアメリカで働き始めるというとき、日本から「会社が倒産するかもしれない」と電話があったのです。実家が会社名義となっていたので、引っ越さなければならなくなったとのことでした。父が亡くなってから会社の経営状態があまりよくないことは聞いていましたが、私は経営にノータッチでしたので、詳しいことは何も知りませんでした。ひとまず日本へ帰り、税理士の先生に状況を聞くと、私が想定していたよりも、会社は深刻な状態にあることが分かりました。父が亡くなって、まだ10年も経っていないときのことです。

中土井:深刻な状況にあったにも関わらず、会社をたたむのではなく、代表取締役になろうと決心したのはどうしてですか。

伊藤:ここで私が継がないと絶対に後悔すると思ったからです。それまで、会社の中のことはあまり知りませんでしたが、今まで私が好きなことをしてこられたのも、会社があって、社員の皆さんがいてくれたからです。社員の皆さんにはそれぞれ家族がいて、それぞれの生活があります。そのことを考えたとき、社員の働く場所を無くしてはいけないと強く思いました。

 当時、私は32歳でした。会社は莫大な負債を抱えていたので、事業を再建できなかった場合は、私が自己破産をしなければならない可能性さえありました。そのリスクを負ってでも、自分の親がエネルギーをつぎ込んで取り組んできた事業を存続させたいという思いが強くありました。

 とはいうものの、当時の私には経営の経験も知識もなかったので、誰かにアドバイスを求めようと、友達のお父さんで経営をしている方々に相談をしました。父も母も早くに亡くしていましたので、その頃の私には近くに相談できる人がいいませんでした。友達のお父さんだったら、娘のように考えてアドバイスをくれるのではと思い、相談さしました。ほとんどの方には反対されましたが、その中でひとり、「麻美ならできる。2〜3年地獄を見てこい」と言ってくれた方がいました。いろいろな意見を踏まえつつも、その言葉に後押しされたこともあり、代表取締役になることを決めました。

それまでの流れに身を任せる、変えない経営が再建の鍵

中土井:結果的にたった3年でV字回復を果たすわけですが、その秘訣は何だと考えますか。

伊藤:日本の組織は極端な変革を嫌い、年功序列で男性中心の社会という特徴があります。私が32歳で代表取締役になったとき、社内の平均年齢は59歳で、7割が男性でした。ひとつのチームとして組織をまとめ、できるだけ早く状況を好転させるためには、今ある組織を最大限に生かしきるべきだと考えました。

 年上の男性のプライドを傷つけることは、日本電鍍工業をますます立ちいかなくさせる要因になりうると判断し、人員削減はもちろんのこと組織体制の変更すらも行わず、とにかく組織に手を加えることは一切行いませんでした。流れに逆らうのではなく、流れに身を任せてみることの方が当時の日本電鍍工業の再建にとって有効な手段だと考えました。

中土井:組織を変えなかったことが3年でのV字回復を実現した最も大きな要因だったのですね。「変えない」という発想はどこから生まれたものですか。

伊藤:私は白黒をつけたがる傾向が強く、自分の理想を追いすぎるところがあります。当時の日本電鍍工業のやり方に疑問を持たなかったわけではありません。しかし、達成するべきは会社の再建で、私の理想を貫くことではありません。私の価値観で判断し、自分の理想を押し付けたところで、組織の和を乱すことになりかねません。それでは本末転倒です。

 年功序列の男性社会が続いているのならば、いったんそのやり方にしたがってみようと考えました。無理に変えるのではなく、そこに入ってみることの方が再建の近道になると考えました。もし、大規模な人員削減や役職を取り払うなど組織を変える施策を行っていたなら、この会社は存続できていなかったかもしれません。

中土井:白黒つけたがる傾向があって、理想を追いがちであれば、むしろ、リストラを初めとした経営の大改革を行いそうなイメージがあり、流れに身を任せるという結論に至ったことに興味をますますそそられます。その結論に至ったきっかけは何かあったのでしょうか?

伊藤:おっしゃる通り、私も最初は少なからず息巻いたところがあり、「ああしたい、こうしたい」といろいろなアイデアがありました。しかし、流れに身を任せてみるという判断にいたったのは、当時ボーイフレンドだった今の夫が長い議論の末に私を納得させてくれたからです。日本の男性社会には、白黒つけられないグレーゾーンがあると彼に何度も言われました。はっきり物事を結論づけることが善ではなく、曖昧にしてでも人との和を保つこともあるのだと。最初は納得できませんでしたが、何度も話をするうちに、グレーゾーンにいったん入って、流れに身を任せてみることの方が当時の日本電鍍工業には適していると思うようになりました。

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