経営者が率先して社内や会社周辺を掃除する企業は少なくない。中でも社員による便所掃除が経営に与える影響は大きいのだという。
掃除は「ほこりや汚れを取り除き、整理整頓することで環境を美化すること」*1と定義される。社内、ときには会社の周辺を徹底的に掃除することを経営者自らが率先している事例が数多くあり、そうした行為が企業経営にもたらす影響についての研究が始まっている、と前回の連載で書いた。
多くのビジネスマンは「掃除が隅々まで行き届いている会社の経営は素晴らしいはずだ」という考えを持っている。ただし、こうした考え方の背後に理路整然とした理由は存在せず、あくまでも直感的なものだった。掃除と企業経営の関係に注目したいくつかの研究は、こうした理解がまんざらでもないことを教えてくれる。
筆者が知る限り、学術的な観点から注目しているのは村山元理・常磐大学教授である*2。加護野忠男・神戸大学教授とその門下生である大森信・日本大学准教授も同様の研究を進められている*3。村山教授の研究では、掃除にまつわる行為を日本人、日本社会がどのようにとらえてきたのかが示されている。それによると、『古事記』の中で既にみそぎの根源となる出来事が記されているという。そこからは日本人の美的価値観として、清浄とは善なるものであり、逆に汚いことは罪や悪として意識されるということが読み取れる。日本人のみならず、戦国の世から明治に至るまで来日した多くの西洋人も、日本人のいわゆる「きれい好き」を指摘している。江戸期の商家の家訓には掃除を勧める項目があるのも珍しいことではないともしている。
商家のみならず、日本の歴史ある職人の世界でも、掃除は特別な行為として認識されてきたようである。法隆寺宮大工の西岡常一氏は「私の履歴書」の中で、自らの体験を次のように語っている*4。
「掃除、洗濯、茶碗洗い、子守と、家事もろもろを私はやってきた。母にそうさせられた。なんでもやらなくてはならない生活だから当然なのだが、母には『おまえを棟梁にするためや』というはっきりした理由があった。家の外も中も知らなくては、というのである。私だけではない。宮大工は見習い時代にだれもがこうして修業していた」
続けて西岡は「ある夜、祖父から『家訓』を伝えられた。正座して父と聞いた。法隆寺の棟梁に代々、受け継がれてきたもので、『口伝』である」と語りそして、家訓の具体的な項目の1つとして「工人等の心組みは匠長が工人等への思いやり」なるものがあり、職人への思いやりを持った棟梁になる1つのステップとして、掃除を含めた家事を任されたのだと述べている。
「棟梁は多くの職人と仕事をする。心を知るには、その人たちの生活や苦労も理解できねばならぬ。苦労を知るために、母は私に家事をさせたのだ。『人の非を責める前に自分の不徳に思いをいたせ』『大勢の前で人を叱りつけたりしないこと』とも言われた」
日本の社会は伝統的に掃除という行為に特別な認識を持っていたのである。ただし村山教授は、日本社会が浮かれきったバブル景気のころには、(地味で楽しいとは思えない行為である)掃除に特段の注目が集まることはなかったとも指摘している。その後、バブルが崩壊し、景気の長期的な低迷によってモラルが荒廃する中で、掃除という行為を見直す動きが目立ち始めたとされる。
「掃除に関する文献が90年代から急増する。この傾向は今も続き、特に2006年から2007年にかけては手軽で読みやすい雑誌や書籍が激増している。まさに世の中は掃除ブームなのである」*5
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明治学院大学 経済学部准教授