しかし、そうしたイノベーティブな蔵元が売り上げを伸ばしている一方で、日本酒全体として見れば"横ばい"ということは、売り上げを落とし続けている蔵元も多いということになる。
「その通りです。昔の成功体験の図式がカラダに染み付き、そこから脱却できないような蔵元は苦戦しています。最終的に倒産や廃業・転業に追い込まれるところも多いですね」
不変と革新の対象の的確な識別、そして、前者の貫徹と後者の断行をなし得た蔵元だけが、この不況下にあっても、右肩上がりの成長を遂げているということだろう。
ちなみに、葉石さんが最近、特に注目している蔵元はどこなのだろうか?「たくさんありますが……」としばし思案の後、葉石さんは次の2つを挙げてくださった。
「1つは、京都の藤岡酒造(参照リンク)。お酒は『蒼空』です。一度、蔵を閉めたのですが、現在の5代目が再開しました。従来の720ミリリットル(四合瓶)ではなく500ミリリットルのボトルにするなど、今、誰に対して発信したらよいのかを知っている蔵元です。
もう1つは、仙台の勝山酒造(参照リンク)で、お酒は『勝山』です。ここはイタリアで飲食業に携わった経験のある人物が社長を務めていて、"日本酒カクテル"を考案するなど、元禄元年、1688年創業という老舗でありながらチャレンジ精神にあふれたところです」
1966年生まれで、今年、44歳の葉石かおりさん。華やかで楽しい人生を送っていらっしゃるように見えがちだが、実は多くの苦難を乗り越え、現在の立場を築いてきた。
「大学を卒業して、最初の仕事はラジオのリポーターです。でも24歳の時、上司と喧嘩して退職しました。その後、アルバイト的に文章を書くようになったんですが、この時に書く楽しさに目覚めたんですね。契約記者のような形で出版社に入社したんです。女性週刊誌を担当し、きき酒師の資格はこの時期に取りました(31〜32歳の頃)。動機ですか? 自分には、これといった専門分野がないなあ……という気持ちがあって。当時はワインが好きだったので、ソムリエの資格を取ろうかと思ったんです、最初。でもそのころ、ワインの分野ではすでに田崎真也さんが活躍されていて『この分野では一番になれない』と思い、きき酒師にしたんです。
34歳の時に、またしても上司と喧嘩しましてね……(苦笑)。ギャラも破格でしたし、本当は辞めたくなかったんですが、結局、35歳のときにクビ同然で辞めました。その後は丸1年間、仕事がなかったですね。きき酒師の資格があるからといっても、それで仕事の依頼があるわけでもない。今までやったことがないので、営業の仕方も全然分からないし、お金もなかった。あまりにも暇だったので、自力でホームページを立ち上げたんです。そうしたら、ある大手出版社から仕事のご依頼があり、それ以降は次第にお仕事にも恵まれるようになりました。
ところが39歳の時、父が亡くなり、そこで死生観ががらりと変わりましたね。当時の私は、いわゆる"バリキャリ(=バリバリのキャリアウーマン)"でした。でも、その内情はといえば……連載を同時に14〜15本も抱え、睡眠時間も満足に取れず、あまりの多忙さに、いつもイライラしていたんです。それが父の死で『仕事ばっかりしている場合ではない。もっと緩やかに生きるべきではないか』と考えを改めたんです。
翌年(40歳)、今度は離婚です。当時、6歳年下の男性と暮らしていたのですが、子作りについての考え方がどうしても一致せず、別れました。離婚して、女ひとりで生活していかざるを得なくなった時、私は父の言葉を思い出していました。それは、"感謝"です。人間は決して1人で生きているわけではない。いろんな人々によって支えられ、生かされている。人にしてあげたことは忘れて、人からしてもらったことは覚えていなさい……と。そんな私が現在の相方と出逢ったのは、その翌年(今から3年前)、41歳のときです」
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早稲田大学商学学術院教授
早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授
株式会社CEAFOM 代表取締役社長
株式会社プロシード 代表取締役
明治学院大学 経済学部准教授