国内営業時代、部下を怒鳴りつけるような軍曹型のマネジメントを貫いていた。それから十数年後、褒めて人を伸ばすスタイルで物流部門を変革する。橘氏は、米国駐在時の体験が考え方を一変させたと振り返る。
開発や製造、販売拠点を設けるなど、早くから他産業に先がけて海外展開を推し進めていた日本の製造業。近年は円高の影響による輸出不振などで多くの企業が大打撃を被り、我慢のときが続いているものの、新たな売り上げの源泉を求め、依然として海外に視点を向けている。
海外景況がビジネスを大きく左右する製造業において、合繊メーカー大手の東レは、繊維を中心とする海外事業が好調。2011年3月期の連結営業利益予想を830億円から960億円に上方修正した。需要増加に伴う海外生産も進んでおり、例えば、薄型ディスプレイ向けのフィルムは約8割、炭素繊維は7割の海外生産比率を誇る。2月3日に発表した長期経営ビジョンでは、各事業セグメントにおいてグローバル展開を促進し、中国や韓国をはじめとする成長国・地域の売上高比率を現状の34%から50%に高めることを打ち出した。
言うまでもなく、事業のグローバル展開は一朝一夕できるわけではない。古くから東レでは海外拠点あるいは海外ビジネス部門に多くの人材を送り込んでいた。その一人が、現在、物流部門を率いる橘真一部長だ。
これまでの橘氏のキャリアを振り返ると、海外事業なくして語れないことが容易に分かるだろう。入社以来在籍していたフィルム事業部門フィルム販売部から、1991年12月に同フィルム貿易部に異動したのを皮切りに、トーレ・プラスチックス・アメリカ社、樹脂事業部門エンジニアリングプラスチック事業第2部(韓国合弁事業担当)、トーレ・レジン・アメリカ社と、いくつもの海外ビジネス部門、海外子会社を渡り歩いた。さぞかし海外志向が強かったのではないかと推測するも、意外なことに「20年前の当時はできることなら海外にかかわる仕事は避けようとしていた」と橘氏は笑う。
橘氏が東レに入社したのは1979年。第2次オイルショック後の厳しい就職戦線を勝ち抜き、東レのほか、生命保険会社、証券会社の3社から内定を得た。東レに決めた理由として、「製造業は日本の基幹産業であり、今後もビジネスの起点になるはずだと考えていた」と橘氏は述べる。
入社して約12年間、フィルム販売部で国内営業に従事していた。ちょうどそのころの日本は、製造業が次々とグローバル展開を始めており、東レ自身も生産工場を作るなど海外にシフトしていた。部門の異動もなく国内営業一筋だった橘氏は、ある日、上長から転勤希望届の提出を求められる。それに対して、樹脂部門の国内営業を希望するとともに、最後の一文に「私は英語が得意ではないため、貿易部と海外勤務はできれば希望しない」と添えた。すると数ケ月後、フィルム貿易部に異動になった。さらに3年後には米国駐在を命じられた。
「自らの希望にはまるで沿わない結果となった。裏を返せば、それほどにまで日本の産業構造が変化し、グローバル展開が急拡大した時期で、東レの業態も大きく変わろうとしていたのだ」(橘氏)
橘氏のその後の歩みは先述した通りだ。東レとしても海外ビジネスを一度経験した人材は、現地の生活や業務の慣れなどを考えると、その後も海外事業領域に配置した方が効率が良いという思いがあったのだろう。
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早稲田大学商学学術院教授
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明治学院大学 経済学部准教授