そんなことを考えていた折、昨年末あたりから「派遣切り」という言葉がマスコミをにぎわせていることが気になっていました。年末の日比谷公園の派遣村に始まり、テレビや新聞は執拗(しつよう)に非正規雇用の人たちの失業問題を取り上げていました。職をなくし、同時に寮からも追い出されるという一個人の生活を追う報道は、同情を禁じえないものがあります。直近の報道では、15万人以上の非正規雇用の人々が失業しているということ、まったくもって由々しき問題です。
しかし、正社員の雇用も大幅に削減されているという事実、かたやハローワークを通じて求人を出してもほとんど応募がない会社が少なくないという事実、農業、林業、漁業などの一次産業ではいまだに雇用の需給バランスがとれていないという事実は、派遣切りに比べてあまり報道されることはありません。
ある時、テレビのニュースを見ていたら、有名なキャスターが派遣切り問題に対して企業は救済すべきだと主張していました。その中で「まあ、企業は内部留保もありますしね」という発言を聞いたときに、わたしは耳を疑いました。もちろん、派遣切りがいいと支持するつもりはありませんが、この人は内部留保の意味を知っているのだろうかと疑わずにはいられませんでした。
必要以上に利益を出している企業は別として、一般的に企業は競争の原理の中で生きている限り、内部留保というものを翌年度の投資に使います。投資は企業が成長する源泉となります。利益を出さず、投資をやめて、企業が倒産したら、このキャスターは、それでも、内部留保を費用に使った企業を褒めたたえてくれるのでしょうか。最近になって大手電機メーカーや自動車メーカーが大幅な赤字を出している状況では、大企業にもキャッシュマネジメントが求められています。内部留保を使えば問題は解決するというような安易な発言は控えてほしいものです。
インターネットにもニュース専門メディアがありますが、CGM(Comsumer Generated Media)などのユーザーが直接情報発信する個別メディアもあり、その情報量は膨大です。中には、弁護士や会計士、経済評論家が書くブログなど非常に専門性の高いメディアがあります。テレビに採用されるコメンテーターの方々は総合的な知識を持っている人が多く、それ故インターネットの場合は、より専門性が高い人も見かけます。
インターネットの情報の特徴として、わたしは情報が分断され専門化した各論が多いことが挙げられると考えています。Wikipediaなどの集合知と呼ばれるメディアもありますが、ほとんどのメディアは細分化され、特に検索技術が発達したことにより、インターネットユーザーの行動様式も変わってきて、取得したい情報のみを検索によって吸い上げるという仕組みでインターネットが成り立つようになってきています。インターネットは編集者のない専門的なオピニオンの集まりなのです。編集者の役割をしているのは、今のところ検索エンジンを使う自分自身です。公正な意見を形作るためには個人の努力が重要な役割を果たします。
インターネットというメディアの性格を考えれば、マスコミの役割は、オピニオンからファクトに重要性を移すことが大切だと思います。オピニオンをやめろというつもりはありませんが、オピニオンはインターネットで十分取得可能です。それに比べて、マスコミはファクトを集め、限られた時間やスペースの中で、総論を語る力を発揮することができると思うのです。公正なファクトを知らせ、視聴者に判断を委ねるべく編集力を大いに発揮してほしいのです。
現状の経済危機を考えれば、痛みなしでは問題を解決できないことは明らかです。例を挙げた派遣切りの問題では、テレビの報道は、解雇された派遣社員一人ひとりの生活を追うことだけでなく、正規社員の失業率、企業の営業利益や内部留保の割合、諸外国の競合との比較、設備投資の絞り込みによる景気への影響などを総合的に知らせるべきです。同時に、誰がどうやって痛みを克服するべきかをわたしたちの判断に委ねるために、非正規雇用問題は企業努力で解決するのが正しいのか、消費税などの税負担やソーシャルコストの問題とする方が正しいのか、あるいは、その組み合わせであるのかをマクロ的な観点からファクトを示してほしいのです。
マスコミにはインターネットメディアにない高い付加価値があります。それは、編集力です。ファクトを公正に出すための専門的な編集力があれば、マスコミは相変わらず価値の高いメディアとして人々の信頼を得られるのではないでしょうか。
石黒不二代(いしぐろ ふじよ)
ネットイヤーグループ株式会社代表取締役社長 兼 CEO
ブラザー工業、外資系企業を経て、スタンフォード大学にてMBA取得。シリコンバレーにてハイテク系コンサルティング会社を設立、日米間の技術移転などに従事。2000年よりネットイヤーグループ代表取締役として、大企業を中心に、事業の本質的な課題を解決するためWebを中核に据えたマーケティングを支援し独自のブランドを確立。日経情報ストラテジー連載コラム「石黒不二代のCIOは眠れない」など著書や寄稿多数。経済産業省 IT経営戦略会議委員に就任。
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早稲田大学商学学術院教授
早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授
株式会社CEAFOM 代表取締役社長
株式会社プロシード 代表取締役
明治学院大学 経済学部准教授