IT業界の変遷を辿り続けてきたかのような経歴を持つ元経営者がいる。グーグル前名誉会長の村上憲郎氏だ。ミニコンからネットワーク、Web時代へと、米国IT企業の日本法人社長などトップマネジメントを数社に渡って勤め上げた氏は、グーグルに何を思うのか。
トークライブ「経営者の条件」(主催:経営者JP、協力:アイティメディア)第7回が1月27日に開催された。今回のゲストとして招かれたのは、グーグル元社長で前名誉会長の村上憲郎氏。2011年にグーグルを退任した後、個人事務所を開設して執筆や講演などの活動を行っている。
米国IT企業の日本法人トップとして数社を渡り歩いてきた氏にとって、企業人として最後のキャリアとなったグーグルには、最も長く勤め、そして、初めて経営の道に踏み出したDEC時代と似たものを感じるという。IT産業の発展を、経営の第一線から見つめ続けてきた村上氏の歩みを、トークライブの内容をもとに再構成した。
村上氏は大分県佐伯市出身、1947年生まれの“団塊の世代”だ。地元の進学校で学び、「テクノロジーに対する、ある種の憧憬を抱いて」京都大学工学部へ進学。そして「当時も今と全く変わらず、就職するなら東京が最も有利」という考えから東京で就職したという。
最初の職場、日立電子ではミニコンピュータ関連の業務に携わる。時あたかもミニコン時代真っ盛り。日本の企業は主に海外製コンピュータのライセンス生産を手掛けていた。だが、ある時期を境に海外メーカーはその権利を引き上げていく。日本のコンピュータ技術者にとってみれば、最新技術に触れる機会を失うことになる。
このとき村上氏が選んだ道は、ミニコンの雄、DECへ転職することだった。当時のDECは、「テクノロジーをコアとした会社で、営業などせずとも顧客が買いに来る」(村上氏)ほど勢いがあった。そのテクノロジーに対する憧れも転職を後押ししたことだろう。
まず日本ディジタル・イクイップメント(日本DEC)で勤務した後、さらに5年間の米国本社勤務となった。それまでは英語が堪能とはいえず、「年齢的にも手遅れになるかどうかギリギリ」という状況でありながら猛勉強の末に身に付け、米国での仕事に備えたという。ちなみに村上氏は、英語コミュニケーションのコツを、次のように説明している。
「わたしの場合は、『ツカミ』が重要。もともと、吉本に入った方が良かったのではないかと言われるくらい、おやじジョークを喋るものだから、飲んでコミュニケーションする機会があれば必ずといっていいほど日本にひっかけたジョークを使った。日本を根拠地として、日本を米国本社に売り込んでいく立場なので、日本に絡めることが大切だと考えている」
そんな米国勤務に終止符を打ったのは、5年間のビザの期限が切れた時点だった。村上氏は、自身の今後のキャリアや、子供たちの教育などを考えた末に、日本法人の経営の道へと進路を決めたという。
こうして日本に戻った村上氏は、1992年に日本DECの取締役へ就任、その後はインフォミックスやノーザンテレコム(現ノーテルネットワークス)など米国IT企業で日本法人の社長を務める。そして、企業人としての経歴の最後を飾ったのがグーグルだった。「次が最後の仕事かなと思っていたところに誘いがあった」(村上氏)
村上氏はDEC時代に人工知能の研究に携わっていた過去がある。Googleが手掛けている自然言語処理技術も、そのAIの範疇に含まれる。ヘッドハントされた理由には、そういった経歴も影響しているようだ。
「AIを知っているというバックグラウンドがあるので、会話が成り立つ。分かっているふりができる(笑い)」(村上氏)
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早稲田大学商学学術院教授
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明治学院大学 経済学部准教授